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   青丘文庫研究会月報 2005年5月1日  PDFファイル

 

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●青丘文庫研究会のご案内●

■第271回在日朝鮮人運動史研究会関西部会

5月8日(日)午後1時〜3時

「在日コリアンの若者のアイデンティティー研究」崔 海仙

■第232回朝鮮近現代史研究会

5月8日(日)午後3時〜5時

「植民地期朝鮮における衡平運動の研究−社会運動としての虚像と実像」徐 知伶

※会場 神戸市立中央図書館内 青丘文庫

  神戸市中央区楠町7-2-1 TEL 078-371-3351(地下鉄大倉山駅下車すぐ、JR神戸駅北10) 

 

●巻頭エッセー 

朝鮮語を学んで 山田寛人

 

 私が朝鮮語を学ぶようになったきっかけは英語だった。中学校で英語の授業を受けることになったときに、まず不思議に思ったことは、「他にも何千という言語があるのになぜ英語を勉強するのか?」だった。英語話者が日本に来ると平気で英語を使って話しかけてくるのに、日本語話者が英語圏に行って日本語で話しかけることはない。私は、英語がもたらすこのような言語の不平等・差別に対して怒りを感じていた。

 そこで私は、言語の異なる者同士が平等にコミュニケーションできる言語としてエスペラントを学んだ。英語を話す時に感じる、笑われるのではないかというような恐怖心をまったく感じることなく話せるエスペラントに魅力を感じた。このエスペラントをとおしていろいろな人と知り合ったが、その中に大韓民国のソウルに住んでいる韓国人がいた。あるとき、その人が一度韓国に遊びに来いというので、行ってみた。韓国という国には特に関心はなかったが、エスペラントを使うおもしろい機会だと思ったからだ。韓国ではエスペラントを話す人たちと主に交流をしたが、そうでない人がいるところにも、もちろん出かけていった。そういうところでは、私が日本人だとわかると、日本語で話しかけてくる人が必ずいた。どうして、どこへ行っても日本語を話す人がいるのか不思議でならなかったが、とにかく話しかけられる。そのとき、すぐに私は、自分が日本にいて英語で話しかけられたときの不快感を思い出した。つまり、自分は英語話者がしているのと同じことをしているのだということに気づいたわけだ。日本と朝鮮との間の歴史についてなど、もちろん興味もなければ知識もない。ただ、自分が不快にさせられているのと同じことを自分がしていることに気持ちが悪くなった。

 旅行から帰ってくると、さっそく朝鮮語を勉強し始めた。もう一度、韓国へ行くことがあれば、同じような気持ち悪さを味わいたくないと思ったからだ。もちろん、韓国に対する興味や関心は相変わらずあまり無いままである。大学のある先生の研究室にあった“MYONGDOS KOREAN”という教科書を読んで勉強した。勉強してある程度話せるようになってからも、韓国に対する興味や関心はわいてこなかった。朝鮮語が、私が通っていた小学校・中学校と同じ学区にあった朝鮮学校の生徒が使っている言語だということに気づいたのは、かなり後になってからのことだ。しかも、それに気づいたきっかけは、朝鮮語を学んでいたことによるものではない。言語の学習というのはそういうものだ。相手の文化や歴史に対する関心など無くとも学習することはできる。私は、朝鮮語を学んだことで以上のような問題に気づくことができた。

 

●第268回在日朝鮮人運動史研究会関西部会(2005.2.13

朴泳孝を支援した日本人たち       金慶海

 

 朴泳孝は、1884年に起こした甲申政変ののち、一時帰国はするが1907年までの長い間日本に亡命していた。

 日本に亡命中の朴泳孝は、次のような三つの部門で活躍したようだ。

1.祖国の若者たちを日本に呼び寄せ、近代的な教育をしようとした。

 その試みは二度あった。東京で親隣義塾を設立し運営した(1893.11.'94.7.)。また、二度目の亡命後の19015月〜'0212月の間は、神戸で朝日新塾を設立し運営している。

2.日本に亡命している同志たちの結束を計ろうとした。

 例えば、福沢諭吉の薦めもあって、18967月には神戸の須磨に亡命者たちを集めて会合をひらき、これからの活動などについて議論している。

3.故国の改革のため日本の有志者らを訪ね回り、それへの支援を訴えた。

 上述の二つの活動を遂行するには、どうしても日本の有識者たちの協力は絶対不可欠の問題と見て、朴泳孝は良識のある日本人人士を訪ね廻り協力をしてもらった。例えば、次のような方々のようだ。

・高島嘉右衛門;高島易の創始者でもあり資産家でもあった高島は、1888年から1892年の間、朴泳孝を自分の別荘にかくまい朴泳孝が病に倒れると温かく治療をさせている。

・福沢諭吉;朴泳孝と福沢とが最初に合ったのはいつかは定かではないが、1882年に朴が修信使として渡日したときに、随行してきた2名を福沢の慶應義塾に入学させている。また、2度目の渡米から日本へ来た時(1896.5.)、朴は福沢の斡旋で各派の亡命者たちとの連携を計るため会談し、’96年7月には、神戸の須磨で全亡命者が集まって会合をしている。

・須永元;栃木県の富豪でもある彼は、韓国の改革に理解を示し、東京で親隣義塾を運営するとき、須永は自分の事務所を提供している。

・その他にも大勢いるが、例えば、自分の娘・妙玉を預かって教育してくれた神戸の友国晴子(親和学園の校祖)、柴四朗(作家、国会議員)、神戸又新日報社長・矢田績、渡辺駛水鳥取県県会議員らがそうだった。

 番外編になるが、孫文とも親交があったらしい。1900年と1902年の2度、両者は神戸で密会している。話し合いの内容は定かでない。

 (でも、伊藤博文とその子分・井上馨とは終始敵対関係であった。)

 しかし、この方々のほとんどは、1905年の保護条約後、朴からか相手側からか離れていった。例えば、朴泳孝が亡くなる前年の1938年に須永元が朴泳孝をソウルに訪ねているが、すでに須永は日本の朝鮮植民地化に賛成していた。■

 

●第230回朝鮮近現代史研究会(2005.3.13

李承晩の権力の形成過程〜独立促成中央協議会を中心に〜 李 景 a

 1945年10月、李承晩は33年ぶりに海外における亡命生活から祖国に戻った。 米軍占領下の解放直後の朝鮮社会は、周知の通り、朝鮮建国準備委員会・朝鮮人民共和国(建準・人民共和国)が民衆の圧倒的な支持の下で急変する情況にあった。米軍当局は、全国に根を張っていた建準・人民共和国の勢力を弱体化させるために、李承晩を米国から急遽連れ戻し、彼を中心に保守勢力を結集させ、それを過渡期における「政府組織」として育成していくことを模索した。李承晩によって組織・運営された「独立促成中央協議会(独促)」は、まさに米軍当局が構想した「政務委員会」、Governing Commission、を誕生させるための組織体に他ならなかった。「政務委員会」は、まずは米軍政の中に設置され、いずれは軍政を継承して暫定政府となる、そのような任務が与えられた機関であった。

 米軍当局が「人民共和国」を認めない政策を明らかにしたことで、中央政局は混迷を極めていた。群小政党が乱立する状況であって、政局は政党統一の気運がみなぎっていた。左派勢力も李承晩に対しては期待感を寄せていたから、「人民共和国」の主席に彼を推戴したのであった。李承晩には可能な限り建準・人民共和国の勢力をも糾合して、「超党派的なイメージ」の勢力基盤を形成することが求められた。

 ところが、李承晩は民衆の期待をよそに、「独促」を民族統一戦線体ではなく、一部の保守派の人物を中心に組織の主導権を掌握していった。李承晩と左派勢力との分裂は早くも45年12月には決定的となっていたので、残りの課題は帰国したばかりであった金九の「大韓民国臨時政府」を自分の側に結集させることであった。結局、「独促」は臨時政府との協力関係の構築にも失敗したし、左派勢力が挙って排除されたので、親李承晩勢力で構成された。

 李承晩は信託統治に反対する運動が高揚する中で、「独促」を中心に米軍当局の期待通りに、米軍当局の顧問機関として46年2月14日に南朝鮮「大韓国民民主議院」を発足させた。そして、李承晩は「独足」の地方組織と信託統治案に反対する運動体として結成された臨時政府の全国的な組織・「託治反対国民総動員会」を統合して、「大韓独立促成国民会議」を新たに結成させた。この「大韓独立促成国民会議」は後に実施された国連監視下の総選挙に大挙参加して、もっとも多くの当選者をだした政治組織となった。

 周知のとおり、これが大韓民国の政府樹立と共に、李承晩政権の基盤となっていく。そして、1951年にはその後の李承晩政権を支えた「自由党」に継承されていったのである。「独足」の誕生過程を具体的に捉える意味は、まさにここにあると言えよう。

 

●神戸学生青年センターのセミナーご案内●

■「女性国際戦犯法廷」が問いかけてきたもの−NHK番組への政治介入はなぜ、起こったのか?−

講師:西野瑠美子さん(VAWW−NET・ジャパン共同代表)/ビデオ:「ダイジェスト版・女性国際戦犯法廷」(21分)/日時:5月13日(金)午後6時30分/参加費:600円(学生300円)

■朝鮮史セミナー/日韓条約締結40周年−問い直される日本の戦後処理

講師:佛教大学教員 太田修(おおた おさむ)さん/日時:2005年6月24日(金)午後6時30分/参加費:600円(学生300円)

■朝鮮史セミナー/朝鮮解放60年を考える−朝鮮半島の60年、在日朝鮮人の60年−

講演(1)解放後の朝鮮−19452005−大阪産業大学教授 藤永 (ふじなが たけし) さん

講演(2)在日朝鮮人にとっての戦後60年 神戸学生青年センター館長 飛田雄一(ひだ ゆういち)さん

・日時:7月23日(土)午後2時/・参加費:600円(学生300円)

※会場・主催はいずれも神戸学生青年センター(阪急六甲下車徒歩3分、JR六甲道下車徒歩10分)

 

【今後の研究会の予定】

6月12日、在日・高野昭雄、近現代史・孫正権、8月はお休み、9月10日、10月9日

※研究会は基本的に毎月第2日曜日午後1〜5時に開きます。報告希望者は、飛田または水野までご連絡ください。

 

【月報の巻頭エッセーの予定】

2005年6月号以降は、横山篤夫、李景a、青野正明、太田修、金森襄作、金隆明、福井譲、藤井幸之助、横山篤夫・・・。よろしくお願いします。締め切りは前月の10日です。

 

<編集後記>

           六甲の緑が日に日に鮮やかさを増している今日このごろです。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。5月号の月報をお届けします。この月報は青丘文庫研究会(在日朝鮮人運動史研究会関西部会&朝鮮近現代史研究会)発行のものです。分かりやすいように本号より「青丘文庫研究会月報」と改めました。内容に変更はありません。

           前号でも予告いたしましたが今年8月に釜山でシンポジュウムを開催します。在日朝鮮人運動史研究会の関東部会、関西部会それに韓日民族問題学会(ソウル)の共催プログラムです。日程は、8月6日(土)、7日(日)を予定しています。今からスケジュールをあけておいてください。

           月報の「メール版」を発行しています。無料です。希望者は飛田までメールをください。現在読者は300名です。 2005.4.2 飛田雄一hida@ksyc.jp

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