神戸市立図書館報 『書燈』No.261(1997年11月)

青丘文庫の紹介/水

青丘文庫のいわれ

6月3日オープンした2号館の特別コレクション室に、朝鮮史関係文献を集めた「青丘文庫」があります。利用者の1人として、このユニークな文庫を紹介したいと思います。

須磨区に住んでおられる韓皙曦(ハン・ソッキ)さんが、ご自分の研究のために朝鮮史やキリスト教関係の文献を本格的に収集し始めたのは、1969年のことです。韓さんは当時、F. A.マッケンジー著『朝鮮の自由のための闘い』(太平出版社、1973年刊)の翻訳をしておられたのですが、それに必要な朝鮮関係の参考文献が公立図書館にも大学図書館にもほとんどなかったため、ご自分で多くの本を買い集められました。それが青丘文庫の基礎になっています。

集めた文献を他の研究者・学生などにも閲覧・利用してもらおうということで、「青丘文庫」と名づけた私設図書館を開かれたのが始まりです。「青丘」というのは、「海東」「槿域」「鶏林」などと並んで朝鮮半島を表わす古くからの雅号です。名付け親は、朝鮮思想史の大家である姜在彦先生(現在花園大学教授)と聞いています。

私が朝鮮史の勉強を始めた1970年代初めには、大学で朝鮮史関係の講義はおろか、図書館に必要な文献がないためたいへん困りました。講義の方は、しばらくして姜在彦先生などが非常勤講師として来られるようになったので、指導を受けることができるようになりましたが、文献の方は収集に年月とお金が必要ですから、すぐには改善されません。

私が学んでいた京都大学には、植民地時代に朝鮮総督府が刊行した文献がかなり所蔵されていて、それを利用することはできましたが、朝鮮語の文献はまったくといっていいほどありませんでした。特に困ったのは、南北朝鮮で出版された研究書・雑誌や資料集・復刻版などが京大だけではなく、全国の大学図書館・公共図書館に入っていないことでした。国立国会図書館やアジア経済研究所などでは当時からある程度購入していましたが、学生・院生がそうたびたび東京に行くことなどできません。

青丘文庫がそのような文献を揃えていると聞いて、さっそく利用させていただくことにしました。文庫では韓さんばかりでなく朝鮮(史)研究をしている人に会うことができ、さまざまなことを教えてもらえるという利点もありました。

修士論文を書くときには、植民地時代の雑誌や新聞を見るために青丘文庫に泊まらせていただいたこともあります。

 

所蔵文献の特徴

青丘文庫の特徴は、何といっても朝鮮関係の文献を1ヵ所に集めている点にあります。歴史関係、特に近現代史の文献に力点を置いています。もちろん「李朝実録」「承政院日記」など前近代の基本文献も揃っていますが、植民地時代の新聞・雑誌、民族運動史・社会運動史関係の資料集など、南北朝鮮で発行された文献が豊富に所蔵されていることが大きな特色です。

韓国では1970年代から歴史資料の編纂・復刻が盛んになりました。当時日本でそれらを系統的に収集する図書館がありませんでした(現在でもきちんと収集している図書館は多くありません)。青丘文庫はそれらの購入に力を入れてきたので、日本でも1番といえるくらい文献が揃っています。『漢城旬報』『毎日新報』『東亜日報』などの新聞、『開闢』『朝鮮之光』などの雑誌、『朝鮮総督府官報』のような基本資料の復刻版、韓国で編纂された『独立運動史資料集』『日帝下社会運動史資料叢書』などの資料集が所蔵されています。

青丘文庫が本格的に文献収集を始めた1970年代は、日本でも朝鮮関係書籍の出版が多くなった時期に当たっています。ですから、青丘文庫は日本で刊行された文献を蓄積していることにもなります。それ以前に刊行された書籍、特に日本支配の時期に刊行された本が多いのは、古書店などを通じて購入されたからです。その中には稀覯本もあります。最近刊行された『東亜新聞』(1940年代前半に名古屋在住の朝鮮人が発行していた新聞)の復刻版は、青丘文庫所蔵のものを原本にしています。

在日朝鮮人に関する文献(書籍・パンフレットなど)が収集されているのも青丘文庫の大きな特徴です。パンフレット類はまだ市立図書館に移管されていないようですが、今後在日朝鮮人について研究しようとする場合、必要不可欠な資料になると思われます。

韓さんはキリスト者なので、朝鮮・韓国のキリスト教関係文献の収集にも力を注がれました。そのため、他の図書館には見られないキリスト教関係の文献が多数所蔵されている点も青丘文庫の特徴になっています。

私も20年以上にわたって青丘文庫を利用させていただいているので、中には私自身の思い出がひそんでいる本もあります。お金を出しても入手が困難な資料・文献は、複写・製本したものが青丘文庫にたくさん所蔵されています。これらは、私や研究会のメンバーが自分の研究のためという名目で、韓さんにお願いして複写していただいたものです。また、「これは研究にどうしても必要だ」と、韓さんに無理を言って購入していただいた高価な文献もあります。

一言でいって、朝鮮関係でわからないことがあったり、どのような文献があるかを知りたければ、まず青丘文庫を見に行くのが早道ということになります。しかも開架で閲覧できるので、書名などがわからなくても、調べたいと思う分野の書架を見れば、関連する文献が並んでいるので、非常に便利です。移転後の市立図書館でも開架式になっているので、利用者にはたいへんありがたいことです。

開かれた専門図書室として

青丘文庫は、最初、国鉄(現JR)の鷹取駅から歩いて5分くらいのところにあるビルにありました。韓さんが所有するビルの5階に文庫が設けられていたのですが、ケミカルシューズの工場がいくつも入居しているビルの廊下や階段を歩くと接着剤の臭いが鼻を刺激します。息を切らせて5階まで階段を歩いて上がると、そこはまったく別の世界であるかのように、朝鮮語の本が並び、少しかび臭さもただよう青丘文庫になっていました。

このビルは、阪神大震災で延焼して今はありません。1986年に韓さんが須磨区の自宅を建て替えられ、メゾンド青丘と名づけられたビルの1フロアに青丘文庫を移転されていたため、震災の被害に遭わなくてすみましたが、もし鷹取のビルにそのまま置かれていたら、貴重な文献が焼失していたかもしれません。

青丘文庫では、1979年から在日朝鮮人運動史研究会関西部会(雑誌『在日朝鮮人史研究』)、1981年から朝鮮民族運動史研究会(雑誌『朝鮮民族運動史研究』)が開かれています。関西在住の研究者・院生・学生を中心に、関心を持つ人が遠くは四国や北海道からも参加して運営されています。朝鮮研究の基盤が薄い大学などでは得られないアドバイスや情報交換の場となっています。研究会には専門の研究者だけではなく、会社勤めの人、高校の先生がたくさん参加しているのも、青丘文庫がもともと民間の開かれた私設図書館であったことを反映しています。これらの研究会は、市立図書館移転後も、図書館の会議室で月1回開かれています。

市立図書館に移転した後も、継続して文献・情報の収集に心がけることができれば、日本での朝鮮研究のセンターとして機能するのではないかと思います。

「青丘文庫が朝鮮半島と日本との架け橋になればと思ってやってきた」という韓皙曦さんのこころざしを受け継いで、青丘文庫を生かすことができるかどうかは、利用する人々と関係者の熱意と努力にかかっているといえます。

研究会の報告要旨や例会案内などを掲載した『青丘文庫月報』が発行されており、ホームページも開かれていますので、関心のある方はご覧ください(http://www.hyogo-iic. ne.jp/~rokko/sb.html)。月報申し込み・研究会参加などについては、財団法人・神戸学生青年センターの飛田雄一さんまで問い合わせてください(電話078−851−2760)。

(京都大学人文科学研究所助教授・水野直樹)

(追記)

青丘文庫は、神戸市立中央図書館2号館の特別コレクション室にあります。問い合わせは、神戸市立中央図書館(神戸市中央区楠町7−2−1、電話078−371−3351)へ。最寄り駅は、JR「神戸」駅、高速神戸電鉄「高速神戸」駅、神戸地下鉄「大倉山」駅です

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