青丘文庫月報・138号・99年5月1日

巻頭エッセイ

「富国有徳」とは? 藤永 壯

 

 小渕首相は「富国有徳」という耳慣れない言葉を、彼なりの国家目標のキーワードとして、好んで口にしている。たとえば今年の年頭の施政方針演説で、小渕氏は次のように語った。「内閣をお預かりして以来、私はことあるごとに『富国有徳』ということを申し上げてまいりました。健全な資本主義は利潤追求だけでは維持できません。……『徳』すなわち『高い志』を持った国家でなければ、豊かな国であり続けることは不可能であり、何よりも世界から信頼されなくなるわけであります。」
 明治政府の「富国強兵」を連想させるような四字熟語を、なぜいまさら唱えるのか訝しく思っていたところ、この言葉は川勝平太・国際日本文化研究センター教授の造語を「譲り受けた」ものなのだそうである。川勝氏は、海洋を媒介とした文明交流の視点から世界史における「近代」への移行過程を論じた、博識な経済史家・文明史家として知られる。だが一方で川勝氏は、現行の歴史教科書を「自虐的」「かつての敵国のプロパガンダをそのまま事実として記述している」と決めつける「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者であり、同会主催のシンポジウムにパネリストとして発言するなど、戦後日本の歴史研究の成果を解体させようと目論む歴史修正主義的な潮流にくみしている。また小渕首相の肝煎りで3月30日に発足した有識者懇談会「21世紀日本の構想」のメンバーでもあり、同懇談会の報告書は川勝氏が作成するものと観測されている。
 川勝氏には『富国有徳論』(紀伊国屋書店、1995年)という著書があるが、彼の言う「富国有徳」論の中身を知るには、最近発表された「富国有徳のすすめ」(『文芸春秋』1999年2月号)を読むほうが分かりやすい。これについてはラテンアメリカ史研究者の太田昌国氏が的確に批判しているので(
http://www.shonan.ne.jp/~kuri/index.html/aala/aala_13.html)、関心のある方はそちらをお読みいただきたいが、太田氏が引用している次の箇所は、私にとっても大いに引っ掛かる内容である。
 「明治の指導者は、百年の大計として富国強兵をかかげた。その批判を現代の観点からおこなうのはたやすい。しかし、その国是のもとに、日本は、ほかのアジアのほとんどの地域が植民地になるなかにあって、ひとり政治的独立をまもり、かつ経済発展に成功した非西洋圏で唯一の国となった。それはアジア(東洋)史における奇跡であり、世界史にのこる日本国民の偉業である。」(p.219)
 「文化とは、憧れられるものであり、その求心力によって中心性をもち、他に模倣されることによって普及し、普遍性を獲得する。文明とは、中心性をもち、他に模倣されて普及していく文化である。憧れられる文化、すなわち文明になることがグローバル交流時代における大国の新しい条件である。各国から憧れられ仰ぎみられる文明、それは富士山のごとき存在であろう。富士の『富』と『士』を英訳すれば rich and civilized である。『豊かに、かつ廉直に生きること』、それこそが現代の日本人に求められているすがたであり、富国強兵になぞっていえば富国有徳になる。」(p.221)
 アジアで日本だけが独立を守り、経済発展に成功する「奇跡」「偉業」を成し遂げたとは、しばしば耳にする議論であるが、アジアの他地域を植民地にした「日本国民」の優秀さを安易に誇示することは、アジア蔑視の裏返しに思われて仕方がない。そもそも日本はなぜ「各国から憧れられ仰ぎみられる文明」をもつ「大国」にならなければならないのだろうか? これは現代版日本型「華夷」意識とでも言うべき発想であり、「帝国」の論理を再生産するものではなかろうか?
 「日の丸」「君が代」法制化とか、北朝鮮へのミサイル先制攻撃を容認するとか、にわかにきな臭い動きが見られる昨今、保守勢力の主張のバックボーンをなす、川勝氏のような議論に刷り込まれた自民族中心主義の根を、問い直さずにはいられない。

 

第178回 朝鮮民族運動史研究会(2月14日)

『日韓合同授業研究会』のとりくみ 安準模

 日韓合同授業研究会は、日韓の友好親善を教育を通して市民レベルで深めていく目的で1994年10月につくられた。活動は交流会および日韓の教育、文化の啓蒙や研究などが柱となっており、年1回の交流会は1995年のソウルを皮切りにこれまで4回行われた。こうした日韓合同授業研究会の趣旨や活動内容について報告した。
 私は音楽の専攻であるが、韓国の高校では音楽とともに歴史も担当している。1993年文部省の派遣で1年半ほど横浜で勉強する機会があった。日本へ来るまでは、多くの韓国人がそうであるように日本に対して偏見を持っていた。日本で勉強するなかで、偏見であることに気が付いたが、その時、「日韓合同授業研究会」の呼びかけ人である善元先生に出会い、韓国に帰って韓国側の研究会を組織した。お互いの偏見をなくすには、日韓の子どもたちが交流を通して認識を深めていく必要性を痛感したからだ。
 研究会の活動の中心は年に1回の交流会である。その前提として、研究授業とその授業の検討会を行う。研究授業は、日本と韓国の小・中・高校の教員が、歴史や環境、相互理解などの共通テーマをたてて授業するもので、これを子どもたちの感想などをまじえて報告書にまとめ、交流会の資料としている。たとえば私は、音楽の授業のなかで日本の歌を教えた。しかし、「なぜ日本の歌を教えるのか。歌いたくない」という生徒から、父兄の非難まで、さんざんな反応であった。こうした反応が起こること自体が問題であることを含め、これを第3回交流会で発表した。なお、ここでいう授業は、学校教育に限ったものではない。
 これまで4回の交流会には、千人以上が参加した。その意義は決して小さいものではないと思われる。第2回交流会からは生徒の分科会もでき、生徒間の文通も広がっている。共同作業による歴史教科書作りも進めている。
 この交流会は数百人単位であるが、会員は日本側70人、韓国側40人である。活動のための事務局を設けている。交流会に際しては実行委員会をつくって、実施している。今年は7月に第5回交流会が、東京・大阪で7日間開催される予定である。 (記録/堀内)

 

第213回 在日朝鮮人運動史研究会(2月14日)

「横山レポート(98.12、月報136号参照)への新聞記事による補足」金慶海(略)

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青丘文庫研究会のご案内

第179回 朝鮮民族運動史研究会

1999年5月9日(日)午後3時

報告者 金英達

テーマ 「 朝鮮王公族について」

 

第214回 在日朝鮮人運動史研究会会

5月9日(日)午後1時

報告者 堀内 稔

テーマ 「戦前の尼崎における左「融」朝鮮人団体の葛藤」

※会場はいずれも青丘文庫(神戸市立中央図書館内)

 

【研究会の予定】

6月13日(日) 民族(高正子) 在日(吉坂有香)

【月報巻頭のエッセー】

6月号(坂本)、7月号(林 茂)、9月号(金森 襄作)、10月号(福井 譲)

※前月の20日に原稿をよろしく。

 

編集後記

飛田 E-mail rokko@po.hyogo-iic.ne.jp

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