青丘文庫月報97年12月1日

 

巻頭エッセー/時の流れとは... 伊地知 紀子

この年は、おおむね済州島で過ごした。.そして、多くの人々との出会いのなかで、さまざまに映し出される植民地支配の姿にも、出合った。それらは、日本から来た、自分の子供や孫くらいの歳の私に、語りかけるような声によるものだった。

解放前に国民学校で「国語」や「算数」を習った安アポジは、今でも九九は、日本語で考えてしまうこと。漢字の音訓も、日本語で習ったものは、韓国語では覚えにくいこと。日本で生まれ、16歳の時に帰ってきた高サムチュン(済州島では村の人をサムチュンと呼びます)は、韓国語の発音がおかしいと、朝鮮戦争の時、軍隊で「チョッパリ」と呼ばれたこと。1988年になって、解放前に住んでいた大阪の町を探して歩いた韓サムチュンや康サムチュン。

個々の生に踏み込んできた植民地の歴史−暴力の歴史は、時間が経って、次第に薄れ消えゆくものとはいえまい。それらは、個々の生に刻まれた何がしかの不可解さとして、潮の満ち引きのように幾度も生まれてくるのだと思う。だからこそ、解放とは、誰の何からのいかなるものだったのか。人々は、黙して開い、あるいはつぶやいてきたのだろう。

そして、それは4・3事件という暴力の歴史においても同様である。今、私のいる村では、毎年秋から冬にかけて、済州島4・3事件の犠牲者のチェサ(祭祀)−4・3チェサーが続く。

 

巻頭エッセーAまたは、先々号のつづき

たかが外国人、その後 佐 野 通 夫

(【編集部より/前々号の月報の佐野さんの文が電子メールの不調?から以下の部分が欠けていましたので以下に採録し、あわせてその続編を掲載します】この裁判を傍聴して、鑑定医もそうですが、一審の国選弁護人も含め、Oさんの一審の裁判に関わった人たちが、いかにいい加減に「たかがタイ人が殺された事件だ」、さらには「被告人もたかがタイ人だ」という姿勢で関わったかに腹が立ちます。裁判の構造では、一審の事実認定を覆すのはなかなか困難です。二審の弁護人が疑問に思ういい加減な鑑定書を何も問題にせず、通訳すら十分でない裁判を平然と行なった一審の「国選弁護人」。1月に高松高裁が主催した法廷通訳人セミナーに参加したときの話ですが、フィリピン語講師のベテラン通訳者が、弁護士と時間を打ち合わせて、被告者の接見に行ったそうです。弁護士は勝手に先に来て、そして通訳者が約束の時間に来たときには、もう帰ろうとしていたということです。法曹関係者に、たかがタイ人、たかがフィリピン人の出稼ぎ者だという意識はかなりなものだなと思います。そしてその中で、僕は10月に韓国人のオーバーステイの裁判に通訳として入ります。)

 

10月6日、入管法違反事件の通訳に行きました。被告人が逮捕されたのは、8月4日、起訴されたのは8月15日、僕に裁判所から話があったのは、8月末、その時、開廷日は10月6日、9日、13日の内で決めたいのでという事で、都合を聞かれました。一旦9日になった開廷日が「ビザが切れる関係で」(?)と言われて6日になりました(入管法違反で何故ビザがある?)。裁判所から打ち合わせがしたいと言って出かけたのが9月16日、そのとき、起訴状、検察冒頭陳述、最終弁論(量刑部分を除いたもの)、証拠カード等を受け取りました(弁護士の最終弁論は後ほど送られてきました)。「ビザが」と言っていたのは、パスポートが10月8日に切れるので、パスポートが切れてからでは、その更新を受けて出国させなければならないので、その前に裁判を済ませるという事でした。という事で、実は裁判の前から結論は見えている事でした。裁判をして執行猶予になったら、すぐ上訴権の放棄をして、入管に収容し、翌日出国させるという(書記官との打ち合わせでは、その上訴権の放棄の通訳を入管がするか、僕がするかという話まで出ました−現実には入管がしました)。

そうであれば、逮捕されて2ヶ月余り、被告人は収監され、事実上の刑を既に受けている事になります。初めて柵の内側から見た(僕の席は裁判所書記官の前、被告人と弁護人の間にありました)法廷では、被告人が縄をはずされ、手錠をはずされる場面がよく見えました(39才女性に、男女刑務官が一人ずつ(後、男2女1になりました)付いてきました)。被告人は終始泣いていました。

事案そのものは、はっきり言ってよく分かりません。裁判に出てきたところでは、被告人は1993年に15日間のビザで来日し、出発前日友人と深酒し、飛行機に乗り遅れ、その後、逮捕されるのが恐く、4年2ヶ月不法残留した事になっています。以前(1991年)に日本人と結婚し、半年ほどで離婚した事が、検察官からも弁護士からも言われるのですが、その事と今回の事件との関係も語られません。後で裁判官と話したとき、記録には被告人が7回日本に出入国しており、以前6回は1度のオーバーステイもない事が記録に出ているそうですが、検察官、弁護士ともその点に触れません。

ちなみに僕は交通費、日当で5928円を受け取り(ちなみに、新札、新コインでした)、通訳料はこの後、計算されて銀行振込になるそうです(3万6000円でした)。訴訟費用は被告人に負担させることはせず、税金から。金と時間をかけたこの裁判はするべきだったのだろうか、それより不起訴処分にして、入管法の手続きだけして、被告人を韓国に送り返すべきだったのではないか、そんな思いは拭えません。ちなみに事件発覚のきっかけは、旅券不携帯の捜査中との事です。

なお、被告人は日本語が分かり、日本語の質問に日本語で答えてしまい、その後で僕がもう一度質問を朝鮮語で繰り返し、もう一度被告人が日本語で答えるという、変な通訳になってしまいました(裁判所は道後事件の問題を意識しているようです。なお、担当の裁判官は高松地裁の刑事事件の5分の2を担当し、この2年半で入管法違反は4件、だから高松地裁全体ではこの2年半に10件くらいではないか、今まではタイ人、イラン人等で、韓国人は初めてと言っていました)。

  

広告/在日朝鮮人史研究 第27号(1997年9月)《27号目次》

紀州鉱山への朝鮮人強制連行 紀州鉱山の真実を明らかにする会

アジア・太平洋戦争末期の在日朝那人政策 岡本真希子

在日朝鮮人活動家朴静賢とその周辺 金 栄

1920年代における在日朝鮮人民族協同戦線運動 李榮柱

京都府協和会小史 浅田朋子

戦前期在日朝鮮人の定住過程 木村健二

会の記録

資料 急がれる「在日同胞歴史資料館」建設

  

購入方法

代金1500円 + 送料240円 = 1740円、を 下記口座に送金ください。

郵便振替<01150−4−43074 飛田雄一>

 

研究会のご案内

第165回 朝鮮民族運動史研究会

97年12月21日(日)午後1時00分

報告者 水野直樹

テーマ 「植民地支配における同化と差異化

―植民地期朝鮮の戸籍と名前―」

 

第200回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会

97年12月21日(日)午後3時00分

報告者 横山 篤夫

テーマ 「河明生『韓人日本移民社会経済史―戦前編―』(明石書店)、西成田豊『在日朝鮮人の「世界」「帝国」国家』(東大出版会)を読んで」

 ※ 会場は、神戸市立中央図書館(078-371-3351)

※ 研究会終了後、「忘年会」を開きます。

 

今後の研究会の予定(研究会は原則的に第2日曜日です)

1月18日(日) 坂本悠一(在日) 金森襄作 (民族)

※ 1月は、第3日曜日となります。ご注意を!

 

編集後記

『月報』の発行が毎号遅くなって、研究会の直前に届くという弊害もでています。研究会の記録を次号の月報で報告するというのは時間的に無理なようです。今号で11月の研究会記録を次号に見送り、次号より毎月1日の発行をめざします。(発表原稿の締め切りは、引き続き25日とします。)

月報の年間購読料は3000円です。年度は、毎年4月から翌年3月までとし、来年3月にまた新たに請求いたします。よろしく。

来年の春には、以前、金森襄作さんの案内で好評を博した特別プログラム「長岡京市山菜焼肉の会」を再開したいものです。

(編集長/飛田 E-mail rokko@po.hyogo-iic.ne.jp)

 

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