青丘文庫月報98年1月1日/125号

 

あけまして おめでとう ございます。

本年もよろしくお願いします。

青丘文庫館長 韓 皙 曦

朝鮮民族運動史研究会代表 水野 直樹

在日朝鮮人運動史研究会関西部会代表 飛田 雄一

 

第199回在日朝鮮人運動史研究会関西部会(1997年11月9日)

新聞記事に見る大阪の初期朝鮮人 報告 堀内 稔

 

 大阪の朝鮮人形成の歴史を論じた論文はいくつかあるが、いずれも官憲資料や聞き書きを中心に構成されており、当時の新聞記事を系統的に利用したものはなかたった。しかし当時の新聞は、1917年以降急速に増加する朝鮮人労働者の姿を驚異の目で見ており、連載や、企画記事など興味深いものもいくつかある。断片的で信頼性に欠けるなど、新聞記事資料の限界性はある。しかし、これまで発掘されている官憲資料は1924年のものが最も古く、それ以前のものはない状況では、新聞記事もある程度の資料価値はあると思われる。報告は、資料を新聞記事に限定して1925年までの大阪の朝鮮人を、人口分布、職業、生活状況にわけて行った。

 地域的な分布では、1917年段階では難波、九条、福島などに多く、特に難波は「工場が多いだけに労働者が集まりやすい」とされた。20年代に入ると、当時の市外地に朝鮮人の集住地帯が多くできた。1923年段階では、豊崎、長柄、柴島、中津、鷺洲、十三、福島、西野田、伝法、稗島、築港、九条、今宮、玉出、天王寺、鶴橋、玉造、鴫野、鯰江、城東村などが朝鮮人の多い地域として挙げられている。

 現在最も朝鮮人が多い鶴橋については、「鶴橋町が新しい同胞を迎へたのは大正四年頃からの[こ]とで、その頃は未だ朝鮮人がモノ珍しいので近所隣でも一挙一動悉く話の種にならざるはえなかったが、それが三人殖え四人殖えして今日の鶴橋町と朝鮮人とは切っても切れぬ仲となってしまった」(『大阪毎日』1925.1.24)という記述がある。これまでの研究で、平野川改修工事の労働者が猪飼野の朝鮮人のルーツであるというの説はほぼ否定されているが、この記事からもそれが確認できる。

 職業は1917年では紡績職工が最も多く、次いで日雇い労働者、製鉄職工、仲仕の順であるが、第一次世界大戦の好況による労働者不足で、各種工場へ朝鮮人は急速に増えていった。しかし大戦終了後の不況で、とくに造船職工の多くは職を失ったり、土木労働者になったりしたが、22年の状況でも紡績職工をはじめとする各種職工は約3500人おり、「土方」の3000人を上回っている(『大阪毎日』1922.7.26)。

大阪の朝鮮人形成史では、1910年代から20年代前半にかけては、朝鮮人労働者は道路や鉄道の敷設、河川や港湾の改修などの土木工事、あるいは工場建設の労働者として働くのが一般的で、それが20年代後半になって工場労働者に転化していったというのが、大体の通説になっていた。しかし、新聞記事を見る限り、大阪では当初から工場労働者が多く(もっとも仕事の内容は荷役、運搬、雑役などがほとんど)、従来の説は再検討する必要があるだろう。

  

第165回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会(1997年11月9日)

朝鮮社会の近代的変容と女子日本留学ー1910〜1945ー

報告 朴 宣 美

 

 近代東アジアにおける「留学」の主なパターンは、日本から西洋へ、朝鮮、台湾、中国、「満州」などアジア諸国から日本へ、というものであった。東アジア諸国からの日本留学は、欧米中心の世界資本主義システムの中にアジア地域が編入され、従来の華夷秩序にもとづいた東アジアの地域秩序が日本中心の地域秩序へと改編されていくなかであらわれた歴史的現象である。すなわち、アジア諸国に対する日本の留学政策や、アジア諸国から日本への留学生数の動向は、アヘン戦争以後、東アジア地域に作り上げられた諸国間の新たな勢力版図をあらわすものであり、日本の対アジア政策と密接に関係している。

 当時の「日本留学」の特徴として、もう一つ重要なのは、それが東アジア各国の近代的変容過程であらわれたという点である。西洋帝国主義の出現とともに、「新しい国づくり」という難題に直面したアジア諸国は、急速な人材養成のため、自国より発展していると認められる外国に人を送った。これは近代的知識人、いわゆる、「近代化の担い手」の養成政策にほかならない。したがって、当時の「留学現象」は、その国々が「近代社会」というものをどのように受け取り、どのような思想や行動のなかでそれを打ち立てようとしたのかを理解するのに、重要な手がかりとなると言えよう。

しかし、留学は「近代国家」の形成における人材養成のパイプという側面だけではなく、伝統社会の解体とともに新たな社会体制に直面した人々がどのように新しい時代に適応してゆき、何を欲求するようになったのかという問題に関係している。例えば、身分社会から学歴社会へという、社会システムの近代的変容の過程で、「社会階層的移動」の手段として「学歴」、特に留学を通じて得られる「学歴」が求められていった。また、近代化によって、ジェンダー構造の変化があらわれ、女性が教員や医者などとして働くようになり、社会進出を目指す女性にとって、留学は「歩むべき道」として受けとられていった。

このように、近代東アジアにおける「日本留学」は、日本中心の新たな地域秩序の編成や、各国の近代化のなかで出現した歴史的・社会的現象である。言い換えれば、「留学現象」は、東アジア諸国における近代化の鍵になっていた「欧米文(民族)(民族)明の受容」の主なパターン(欧米文明 ⇒ 日本によって濾過された欧米文明 ⇒ 各国へ輸入)を反映すると同時に、その欧米文明の受容の重要なパイプであった。さらに「留学現象」は、東アジア各国の日本の文化的資本、例えば、教育、思想、言語などへの依存をあらわすものである。例えば、高等教育の発達を阻まれるなど、植民地本国から文化的に周辺化されていた朝鮮の場合、人々は「文化の中心部」である東京に向かって流れ込んでいった。

この研究では、朝鮮の村(普通教育)→府(中等教育)→東京(高等教育)という、朝鮮の小さい村と植民地本国を結ぶ「教育経路」を内蔵する「植民地型学歴社会」へ、朝鮮社会が移行してゆく課程のなかで、女子留学生がどのような「新たな集団」としてあらわれたのかを明らかにする。また、近代化により近代教育を受け社会に進出する女性たちが生み出されたが、女子日本留学が教員としての女性の社会進出とどのようにかかわっていたのかを検討する。

  

研究会のご案内

第201回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会

98年1月25日(日)午後1時00分

報告者 坂本 悠一

テーマ 「戦争間期北九州地方における

朝鮮人移民社会の成立」

 

第167回 朝鮮民族運動史研究会

98年1月25日(日)午後3時00分

報告者 金森 襄作

テーマ 「1945年8月から1947年までの延辺」

 

※ 会場は、神戸市立中央図書館(078-371-3351)

 

今後の研究会の予定

2月15日(日) 金英達(在日) 出水薫(民族)

3月15日(日) 梁永厚(在日) 李景a(民族)

※巻頭エッセーは、前月の20日締め切りです。よろしく。

 

編集後記

・ 1998年をどのようにお迎えになったでしょうか。20世紀もあとわずかという感じですが、聞くところによると?、21世紀は2001年からだそうです。するとあとまる3年です。

・ 青丘文庫は昨年6月に神戸市立図書館内にオープンして2年目にはいります。やはり公立の施設は使いやすいということでしょう、利用者が増加しています。まだご覧になっていらっしゃらない方は、是非お運びください。

・ 月報の年間購読料は3000円です。年度は、毎年4月から翌年3月までとし、次号(2月号)発送のときに郵便振替用紙を同封いたしますのでご送金ください。

・ 1998年もよろしくお願いします。

(編集長/飛田 E-mail rokko@po.hyogo-iic.ne.jp)

 

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