青丘文庫月報189号(2004年7月1日) PDFファイル版

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●青丘文庫研究会のご案内●

■第263回在日朝鮮人運動史研究会関西部会

7月11日(日)午後1時〜3時

「戦前期・京都市における朝鮮人の流入状況」

             高野昭雄

■第225回朝鮮近現代史研究会

7月11日(日)午後3時〜5時

「朝鮮における西欧的女性論の受容と展開―新文学の形成期を中心にして―」梁永厚

※会場 神戸市立中央図書館内 青丘文庫

 

<第260回在日朝鮮人運動史研究会関西部会(2004年4月18日)>

石原都知事の「韓国併合総意論」を検証する  金慶海

 

 石原知事が、去年の10月28日の講演と31日の記者会見で、韓国の植民地化(1910年8月)について発言したが、その要旨は次のようだ。

 1.日本は韓国を武力で侵犯したのではない

 2.日韓併合は、どちらかと言えば朝鮮人の祖先の責任で、朝鮮人の総意

 3.日韓併合については、国際機関はだれも誹謗するものはなかった

 4.植民地主義植民地主義といっても、もっとも進んでいて人間的だった

 5.これらのことは史実として残っている

 この発言について、当然、南北朝鮮はもちろん在日コリアンの各社会や善良な日本人たちも抗議の声をあげ、知事の発言の撤回を求めた。

 これらの抗議に対して都知事は、今年の2月17日、「歴史に対する見解が立場によって食い違うのはいたしかたがない」としながら、「歴史的事実を正確に認識して論議する必要がある」と反発し、自身の発言の撤回は拒否した(「民団新聞」2/25)。

 石原慎太郎さんは、ご存じのように高名な(?)小説家であり政治家。彼の発言・行動は日本の世論に大きく作用していく現実をみた場合、この発言は見過ごすわけにはいかない。そこら辺のいち右翼の発言の重みとは桁が違う。

 この石原発言について、すでに去年の11月初旬に私の見解を発表したが、いまだに彼の発言が鳴りやまないので、今回も研究会で彼の発言について検証した。

 その検証の仕方は、私の個人的な考えでなく、韓国が名実共に植民地になった1910年8月前後の「大阪朝日新聞」の記事を拾って行った。

 彼は、さすがに言葉の魔術師だけある。

  韓国の植民地化は武力ではない、とはあきれはてる。7/18記事では、記者は「大袈裟に言えば臨戦地域にでもいるような感じ」とし、「蜘蛛の網を張ったるがごとく」日本軍が配備されていると伝えている。

 「韓国併合は朝鮮人の総意」なんて。史実によれば、当時の韓国の大臣6人のうちの一人、学部大臣さえ反対していた!

 国際機関が誹謗しなかった、即ち、OKした、とも受け取れそうな発言。しかし、当時は国際機関なんぞなかった。だが、日英同盟で日本による韓国の植民地化は担保されていた。また、米国とは桂・タフト密約でもそうだった。当時世界最強のこの二国との密約を、石原さんは言葉巧みにすり替えて「国際機関」と論じたわけだ。

 人間的な植民地なんて、この世にありうるんだろうか?侵略と植民地化は、根本的に全て悪である。なぜ、あの3・1独立運動の時、あれほどの虐殺行為が行われ、戦時中には公然と数百万人の人狩りが朝鮮で行われたのか、説明をどうするつもりか?

 事実をよくわからない人は彼の言葉の魔術に引っかかり、一部でも「そうかも知れんなあ」と、うなずくかも知れない。危ない。

 石原さんが、本当に、自分の韓国併合観に自信があれば、また、自身への言われない(?)批判を払拭し気高い名誉を守る気骨があれば、堂々とソウルとピョンヤンで公開討論会をしてみたら。南北朝鮮は大歓迎すること間違いなし!勇気あるかなあ。

 

<第224回朝鮮近現代史研究会(2004年3月14日)>

李承晩の権力の形成過程〜独立促成中央協議会を中心に〜 李 景 a

 

 1945年10月、李承晩は33年ぶりに海外における亡命生活から祖国に戻った。 米軍占領下の解放直後の朝鮮社会は、周知の通り、朝鮮建国準備委員会・朝鮮人民共和国(建準・人民共和国)が民衆の圧倒的な支持の下で急変する情況にあった。米軍当局は、全国に根を張っていた建準・人民共和国の勢力を弱体化させるために、李承晩を米国から急遽連れ戻し、彼を中心に保守勢力を結集させ、それを過渡期における「政府組織」として育成していくことを模索した。李承晩によって組織・運営された「独立促成中央協議会(独促)」は、まさに米軍当局が構想した「政務委員会」、Governing Commission、を誕生させるための組織体に他ならなかった。「政務委員会」は、まずは米軍政の中に設置され、いずれは軍政を継承して暫定政府となる、そのような任務が与えられた機関であった。

 米軍当局が「人民共和国」を認めない政策を明らかにしたことで、中央政局は混迷を極めていた。群小政党が乱立する状況であって、政局は政党統一の気運がみなぎっていた。左派勢力も李承晩に対しては期待感を寄せていたから、「人民共和国」の主席に彼を推戴したのであった。李承晩には可能な限り建準・人民共和国の勢力をも糾合して、「超党派的なイメージ」の勢力基盤を形成することが求められた。

 ところが、李承晩は民衆の期待をよそに、「独促」を民族統一戦線体ではなく、一部の保守派の人物を中心に組織の主導権を掌握していった。李承晩と左派勢力との分裂は早くも45年12月には決定的となっていたので、残りの課題は帰国したばかりであった金九の「大韓民国臨時政府」を自分の側に結集させることであった。結局、「独促」は臨時政府との協力関係の構築にも失敗したし、左派勢力が挙って排除されたので、親李承晩勢力で構成された。

 李承晩は信託統治に反対する運動が高揚する中で、「独足」を中心に米軍当局の期待通りに、米軍当局の顧問機関として46年2月14日に南朝鮮「大韓国民民主議院」を発足させた。そして、李承晩は「独足」の地方組織と信託統治案に反対する運動体として結成された臨時政府の全国的な組織・「託治反対国民総動員会」を統合して、「大韓独立促成国民会議」を新たに結成させた。この「大韓独立促成国民会議」は後に実施された国連監視下の総選挙に大挙参加して、もっとも多くの当選者をだした政治組織となった。

 周知のとおり、これが大韓民国の政府樹立と共に、李承晩政権の基盤となっていく。そして、1951年にはその後の李承晩政権を支えた「自由党」に継承されていったのである。「独足」の誕生過程を具体的に捉える意味は、まさにここにあると言えよう。

 

<5月23日/青丘文庫研究会、日本史研究会、朝鮮史研究会・合同研究会(コープイン京都)>

「在日朝鮮人史研究の現在(いま)を考える」       稲継 靖之

 

 2004年5月23日(日)、京都市中京区にあるコープ・イン・京都(大学生協京都会館)で上記合同研究会が開催された。これまで「在日朝鮮人」の歴史は日本史・朝鮮史の双方の研究から見落されがちであったという反省を踏まえて、植民地支配下の渡航や強制連行など「帝国」内の人の移動、日本における生活と運動、解放後(戦後)の諸問題など、在日朝鮮人史研究において取り組まれてきた諸課題、そして今後の研究課題についての議論を通じて、「日本帝国」史、戦後日本史、朝鮮現代史研究のあり方を考える、というのが同研究会の趣旨である。報告者は九州国際大学教授の坂本悠一氏、一橋大学非常勤講師の外村大氏、コメントは立命館大学教授の文京洙氏、コーディネーターは京都大学人文科学研究所教授の水野直樹氏である。

 坂本氏は、「『日本帝国』における人の移動と朝鮮人」という題目で報告を行った。「『帝国史』研究と人の移動の問題」においては、従来の「日本帝国史」の研究、移植民史の研究を整理し、「東アジアにおける人の移動の概要」においては、「内地人」、朝鮮人、中国人の移動について、これまでの研究成果を整理しながら、各移動地域別にその概要を論じた。「移民労働者としての『内地在住朝鮮人』」においては、朝鮮からの渡航について、労働市場、出身階層、渡航規制政策、交通手段といった項目に分けて論じ、それから「内地」での生活、戦時労務動員(「強制連行」)についても言及した。同報告はこれまでの研究成果を各分野別に細かく整理し、その上で朝鮮人の対日・対中移動の比較検討といった様々な問題提起も行い、今後の移民研究の方向性を示したものであったと言えよう。

 外村氏は、「在日朝鮮人史研究の原点・展開・課題」という題目で報告を行った。「『原点』における問題意識および方法の特徴」においては、研究の基点となった1957年から1960年代にかけての研究について論じ、その特徴として実証主義、日本との対抗・民族問題の重視、民族内部の構造的な矛盾の軽視、日本の暴力的な支配の強調といった点を指摘した。「1970〜80年代における展開―『原点』の継承と修正―」においては、基本的枠組みは「原点」を継承しているとしながらも、運動史の活性化、本国・党→在日大衆という捉え方からの脱却、文化の保持、定住への対応の問題についての着目といった変化について論じた。「1990年代以降の転換と課題」においては、「原点」の多くが修正されるか、転換を遂げたが、基礎的な事実関係の解明のうち、なされていないことは依然として多く、特に戦後(解放後)に関する研究が重要であると論じた。

 同報告は各時代別の研究の傾向と問題点を、在日朝鮮人を取り巻く状況とも関連させながら手際よくまとめたものであり、在日朝鮮人史と日本近現代史との関係の深さを改めて実感させられた。

 二氏の報告の後には、文京洙氏が様々な視点からコメントを行った。その中で、第二次世界大戦が終わった1945年から1950年代にかけては「国民化」が進行していき、在日朝鮮人も「国民」という枠組みに囲い込まれるようになったが、在日朝鮮人はそうした戦後の「国民国家」では律しきれない存在であり、そのことを踏まえた研究が必要ではないか、といった指摘があり、私自身はその点が特に印象的であった。

 研究会当日は最初60数人分(?)の机と椅子が用意されていたが、それでは人が納まりきらず、坂本氏の報告が終了した後に急遽机と椅子を増やさなければならなかったほどの盛況であった。在日朝鮮人史は、日本史、朝鮮史研究において、「一国史観」の枠組みでは捉えきれない部分があることをよく示していると言える。その研究の意味と今後の課題について、日本史研究者、朝鮮史研究者が一同に会し、様々な議論ができたことの意味はたいへん大きい。今後も日本史研究者と朝鮮史研究者が協同して在日朝鮮人史の意味とその課題を考える機会が持たれ、それによって日本史研究、朝鮮史研究が活性化されていくことを期待したい。

 

【今後の研究会の予定】

8月はお休みです。9月12日、在日未定、近現代史未定、10月10日、在日未定、近現代史・金永基、11月14日、在日未定、近現代史・金明姫。

※研究会は基本的に毎月第2日曜日午後1〜5時に開きます。報告希望者は、飛田または水野までご連絡ください。

【月報の巻頭エッセーの予定】

9月号以降は、藤永壮、堀内稔、堀添伸一郎、本間千景、松田利彦、水野直樹、文貞愛、森川展昭、山田寛人、横山篤夫、李景a。よろしくお願いします。締め切りは前月の10日です。

<編集後記>

      台風が近づいていますが、みなさま、いかがお過ごしでしょうか。いつも研究会直前の月報となっていますが、7月号は早い目にだすことになりました。前月の中旬ぐらいに出すのが理想的ですね。

      神戸にも取材に来られた韓国KBSのドキュメント「人物現代史・朝鮮人強制連行を告発した朴慶植」(5月28日放映)のビデオが送られてきました。希望の方には、ダビングしてお送りします。送料とも1000円とします。ご連絡ください。

      新刊紹介2冊です。@研究会メンバー・梁相鎮さん翻訳の『日本帝国主義の朝鮮侵略史1868−1905』(朴得俊著、明石書店、2100円)、A愛媛新聞在日取材班『在日−日韓朝の狭間に生きる』(愛媛新聞社、1400円)。送料当方負担でお送りします。希望者は郵便振替で代金をご送金ください。

      もうひとつ、飛田が販売部長?をしている社会派漫画本・松田妙子『日本人的一少女』(自費出版)続編(第3巻、第4巻)がでました。各650円、送料とも合計1640円。詳細は、http://www.ksyc.jp/matsuda/をご覧ください。(飛田雄一 hida@ksyc.jp)

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