青丘文庫月報188号/2004年6月1日 PDFファイル版

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●青丘文庫研究会のご案内●

第262回在日朝鮮人運動史研究会関西部会

6月13日(日)午後3時〜5時

「関東大震災時の朝鮮人暴動流言の研究」

             石黒 由章

第225回朝鮮近現代史研究会

6月13日(日)午後1時〜3時

「朝鮮におけるウイルソン主義の源流」金光旭

会場 神戸市立図書館内 青丘文庫

 

ある<同時代性> 藤井 たけし

 朝鮮共産党中央委員会が1945年9月20日に採択した「現情勢と我々の任務」というよく知られた文書がある。解放後の朝鮮共産党の路線を最初に定式化した、いわゆる「8月テーゼ」である。朴憲永が起草したこのテーゼはその末尾に記されてある通り朝鮮共産党再建準備委員会の「一般政治路線についての決定」を補完したものであるのだが、8月20日の朝鮮共産党再建準備委員会結成の席で採択されたこの「8月テーゼ原案」の具体的な内容については永らく知られることがなかった。ところがソ連の崩壊に伴ってソ連やコミンテルン関係文書への接近が可能となった状況のなか、この「8月テーゼ原案」のロシア語版がロシア国防省文書保管所で発見された。韓国では1996年に明知大学校北韓研究センターが刊行した資料集である『朝鮮共産党史(秘録)』に翻訳・収録されることで一般にも知られることとなった。ただ非専門家の手による翻訳であるため「朝鮮共産党再建準備委員会」が「朝鮮共産党改編委員会」となっているなど問題なしとは言い難いが基本的な骨格は充分に把握し得るものである(近々刊行される予定の『朴憲永全集』には新訳が収録されることになっている)。

 この二つを比較してみると、8月20日から9月20日に至る一ヶ月の間に発生した事態に関する分析が追加されるなど量的にはかなりの差があるものの、路線的にはほぼ同一の内容であるといえる。だがただ一点、明確な違いが存在している。「現情勢と我々の任務」の末尾には「朝鮮革命万歳! 朝鮮人民共和国万歳! 朝鮮共産党万歳! 中国革命万歳! 万国プロレタリアートの祖国エスエスエスエル[ソ連]万歳! 世界革命運動の首領スターリン同務万歳!」という六つのスローガンが羅列されているのだが、原案にはスローガンがもう一つ存在している。「日本革命万歳!」というスローガンがそれである。

 どの段階でこのスローガンが外されたのかは知りようもないが、このささやかな発見はわたしにとっては新鮮な衝撃であった。もちろん政治路線として、あるいは革命戦略として見るとき、朝鮮革命や中国革命と同列に日本革命を語ることは誤りであり得るだろう。だが近頃「戦後東アジア」の<非同時代性>を強調する語りに接することの多かったわたしには、例えそれが熟慮の末に導き出されたものでないとしても、いやむしろ熟慮の末に導き出されたものでなければこそ、(うっかり)日本革命を語ってしまう朝鮮人共産主義者たちの感覚に目から鱗が落ちる思いをしたのである。ここにあるのは朝鮮・中国・日本が同じ時代を生きる地続きの<場>であるという感覚だ。

 もちろん「戦後東アジア」における非同時代性が強調されるのにはそれなりの根拠があり、歴史的経験が共有されてこなかったことに対する反省としての意味は充分に評価されてしかるべきであろう。だが「歴史的経験が共有されてこなかった」ということが共有されてしまう時、実は密やかに存在していた<同時代性>の通路は閉じられてしまうのではないだろうか。第二次大戦終結以降、とりわけ朝鮮戦争を経るなか東アジアは幾重にも分断され、その分断が終わることなく現在にも続いているのは厳然たる事実である。しかしそれと同時に、少数であるとはいえ亡命者、密航者、工作員などにより分断線は絶え間なく潜り抜けられてもいたという事実を見逃してはならないだろう。障壁というものは穴があいているがゆえに維持され得るものでもあるのだ。

 国際的な、とりわけ東アジア規模での共同研究が頻繁に行なわれるようになりつつあるが、<この地>の歴史と向き合うという作業は時空間を潜り抜ける<同時代性>の通路をいかに見出すかにかかっているという思いを強くしている。

 

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<第224回朝鮮近現代史研究会(2004年2月8日)>

中国朝鮮族の教育問題 愛媛大学法文研究科人文学科 M2 崔 海仙

 私の故郷では、民族学校がすべて姿を消してしまった。93年には朝鮮族中学校がなくなり、2001年には70年の歴史を持っている小学校が廃校されて都市の学校に合併された。たしかに、朝鮮族の民族教育は大変危機の場面に処している。

 中国には200万人の朝鮮族とよばれる同胞が住んでいる。在日コリアンと同様に民族教育を正式に行っている。中国朝鮮族の民族教育歴史は、中華人民共和国が成立する前からも行っていた。朝鮮族の民族教育は複雑で屈曲な道を歩みながら、100年ほど長い歴史を持っている。

 朝鮮族は大体農業を生活基盤として、居住形態は集居する形である。しかし、1978年に始まった改革開放の政策と市場経済の波は農村社会に重大な影響を与えた。その影響で朝鮮族は次々に農村を離れ、商売や第三次産業に従うようになった。しかも出国出稼ぎは年々増加した。その出国先は主に韓国であるため、いわゆるコリアンドリームのブームが90年代から起こった。

 コリアンドリームや都市進出は農村荒廃を招来して、さらに農村崩壊、人口減少、晩婚化、少子化、朝鮮語無用論、中国学校に子供を行かせるなどの問題が次々に創出した。このような問題で朝鮮学校の学生数は次第に減っていた。学生数の減少も問題になるが、出稼ぎなどで子供たちは長期間親と離れて生活する場合が多く、家庭教育が役を果さなくなる問題も出ている。その現象として愛情不足や管理不足などで青少年問題が深刻になることである。朝鮮学校の教師は学校の教師だけでなく親の役割も果さなければならない。このように教師の負担も重くなり、社会の変動によって価値観の変化も招来し、教師の離職場合が増加してくる。教育に従事する教師たちが職場を離れる上に、教育事業に従事しようとする願望者も年々減っている。

 コリアンドリームや都市進出は確かに朝鮮族社会に物質的な富を与えてきたが、その代わりにもっとも大切なものを喪失してしまう。民族の未来である青少年たちが教育もよく受けずに病んでしまったら、十数年後朝鮮族社会はどのような状況に処するだろう。56個民族のなか民族教育レベルが一番高いという誇りはますます崩してしまうだろうか。

 決して明るくてはない朝鮮族の現況である。一つの民族が他民族の社会で同化されずに民族伝統を守るには民族教育が主軸として力を発揮しならなければならない。この激動の時代に既存の朝鮮族社会が崩されてしまうが、朝鮮族は今の現象を一つの試練として受け入り、自ら問題意識を持ちながら、その上に新しい朝鮮族社会が構築されなければならない。

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<第259回在日朝鮮人運動史研究会関西部会(2004年3月14日)>

創立直後の水平社・衡平社との交流を進めた在阪朝鮮人

−アナキスト・崔善鳴と李善洪の果たした役割と限界−  塚ア昌之

 1922年12月6日、ボル系の大阪朝鮮労働者同盟会に対抗して、アナキスト崔善鳴とそのシンパ李善洪が中心となって、アナ系や反ボル系の人間を集めて、朝鮮人差別と闘う団体として関西朝鮮人聯盟を結成した。発会式にはその年の春に創立された全国水平社のメンバーである泉野利喜蔵と米田富が参加し、両者を姉妹団体とする連帯の演説を行った。また、その宣言・綱領は全国水平社のものを見習ったものであった。彼らはその直前の12月1日の労働者同盟会の結成大会のとき、水平社のブレーンであったアナキストの木本凡人の紹介で知り合ったのである。労働者同盟会結成大会は李善洪の「妨害」によって混乱、解散させられたため、従来、李善洪は権力側の手先の人間と誤解されてきたことが多かったが、泉野らはその混乱を見た上で、崔善鳴・李善洪との交流を選択したのであった。

 その年3月の第二回全国水平社大会に李善洪が出席、議長保留となったものの泉野利喜蔵が「水平社ト朝鮮人ノ提携ニ関スル件」を緊急動議で提出した。また、翌年3月の第三回大会には崔善鳴が出席した。この大会では、朝鮮に関わる三つの議案「朝鮮ノ衡平運動ト連絡ヲ図ルノ件」「内地ニ於ケル鶏林同胞ノ差別撤廃運動ヲ声援スルノ件」、「鮮人取扱ニ関シテ政府ニ警告スルノ件」が可決された。衡平運動の提案は、やはり木本凡人と親交が深く、水平社創立メンバーでアナ系の平野小剣が詳細な説明を加えた。その後、衡平社との連携・提携を図るため、木本と崔善鳴が秘密会合をなし、衡平社本部とも打合せをしたとも言われる。

 これらの議案の可決への答礼・具体化のため、3月下旬に崔善鳴は東京へ向かい、平野小剣と会談を持った。そして、平野の斡旋で官庁との交渉を持ち、警察官の李善洪への暴行事件をはじめとする警察当局の朝鮮人取締り方針や大震災時の朝鮮人虐殺事件等への抗議を行った。4月25日、衡平社第二回大会に水平社から祝辞が送られた。この祝辞の作成・送付には、内容・前後の経緯から考えて、平野小剣・崔善鳴・木本凡人が絡んだ可能性が高い。祝辞に対し、衡平社側から謝辞も返された。この年、大阪では崔善鳴が中心となり、4月9日の済州島民への差別反対集会、6月28日の朝鮮人への待遇批判集会、8月5日の朝鮮人言論圧迫集会(米田富も参加したと思われる)が、水平社の協力の下に開催された。

9月に衡平社執行委員の金慶三が渡日したが、世話を中心になってしたのも平野小剣であった。ところが、平野は10月に親交のあった遠島哲男が警視庁のスパイであったことが発覚、彼に情報を流したということで全国水平社を除名された。米田富も謝罪処分となった。それまで、朝鮮人との交流を中心となっていた人物が活動の一線から退いたわけである。それとともに全国水平社はボル派(水平社青年同盟)がヘゲモニーを握ることになった。

 このように1923、24年には、アナ系やそれに近い立場の人間が水平社と在日朝鮮人ならびに衡平社との具体的な交流を進めていた。しかし、その後、全国水平社はアナ・ボル対立、水平社解消派・非解消派対立の路線闘争に大きなエネルギーを割くようになっていく。崔善鳴・李善洪らも、1925年こそ、主にアナ系の水平社同人とともに、朝鮮水害同胞救援演説会や、朝鮮慶尚北道醴泉での住民の衡平社襲撃事件に関する抗議決議、被差別部落での夏期講習会での朝鮮問題の講演などの活動を繰り広げたが、1926年からは、ボル系の在日本朝鮮労働総同盟の隆盛化に反して、朝鮮人労働者の組織化に失敗したことやアナキズム運動の沈滞とも相まって、活動は下火となった。関西朝鮮人聯盟等も自然消滅していく。そして、崔善鳴らの運動は1930年代には、大アジア主義に取り込まれ、右旋回をとげていく。ただ、その時代にも崔善鳴・李善洪と米田富の個人的な交友は続いていった。

【今後の研究会の予定】

7月11日、在日・高野昭雄、近現代史・未定。

※研究会は基本的に毎月第2日曜日午後1〜5時に開きます。報告希望者は、飛田または水野までご連絡ください。

【月報の巻頭エッセーの予定】

7月号以降は、藤永壮、堀内稔、堀添伸一郎、本間千景、松田利彦、水野直樹、文貞愛、森川展昭、山田寛人、横山篤夫、李景a。よろしくお願いします。締め切りは前月の10日です。

 

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神戸学生青年センター・朝鮮史セミナー

「在日外国人の無年金問題−過去・現在・未来−」

<講師>四天王寺国際仏教大学大学院教授 慎英弘(シン・ヨンホン)氏

    日時 20047月9日(金)午後6時30分

    会場 神戸学生青年センターホール

       阪急六甲下車徒歩3分、JR六甲道下車徒歩10分

        TEL 078-851-2760、地図http://www.ksyc.jp/map.html

    参加費 600円(学生300円)

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<編集後記>

 2004年度(4月〜)の購読料3000円、図書購入費募金2000円、在日会費5000円を         郵便振替<00970−0−68837 青丘文庫月報>でお願いします。

 

      六甲の河原にことしもホタルがでてきました。私は、楽しみによくでかけます。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

      5月の研究会は、朝鮮史研究会、日本史研究会との合同例会をもちました。私は残念ながら参加できませんでしたが、有意義な研究会だったと聞きました。5月号の月報は、メールだけの案内をだして印刷版は休刊させていただきました。

      例会報告の原稿を他にもいただいているのですが、次号以降に掲載します。原稿をくださっている方には申し訳ありません。

      先日、韓国KBSのチームが朴慶植先生関係の取材に来られました。人物を取り上げるシリーズの41人目、在日朝鮮人として初めてだそうです。5月28日に放映されました。そのうちビデオを入手できると思います。

      梅雨入りしてますます暑くなってくると思います。みなさま、ビールの飲みすぎにはできるだけ注意しましょう。 (飛田雄一 hida@ksyc.jp)

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