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青丘文庫月報・180号・2003月7月1日
(6月号は、研究会案内のみのハガキ通信をだしました)

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●青丘文庫研究会のご案内●

※7月は、下記大会の合流します。朝鮮近現代史研究会はお休みです。

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<第3回在日朝鮮人運動史研究会大会ご案内>
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■日時:2003年7月12日(土)〜13日(日)
■会場:滋賀県立大学 ■参加費500円
(宿泊は各自でご手配ください。)

■スケジュール
<7月12日(土)>
●14:00〜17:00 大会(於/滋賀県立大学)
報告/古庄正(関東部会)/塚崎昌之(関西部会)「1945年4月以降日本に送られた朝鮮人『兵士』について」/崔ヨンホ(霊山大学国際学部)「終戦直後、仙崎における朝鮮人帰還について」/李ハンチャン(全北大学東洋語文学部)「韓国における1930年代在日朝鮮人文学の研究動向」/鄭ヘギョン(韓国精神文化研究院)「韓国における戦時期強制連行関連の研究と運動について」
●17:30〜21:00夕食・交流会
(4000円、学生・海外ゲスト半額、於/滋賀県立大学生協食堂)/
<7月13日(日)>朴慶植文庫(滋賀県立大学内)見学/ウトロ地区見学 
※今からでも間に合います。参加希望者は、1頁連絡先の飛田まで。

民族学校出身者の国立大学受験資格をめぐって 宇野田 尚哉(神戸大学)

 以下では,国立大学の一教員としての私が,今年3月以来標記の問題に関わって経験してきたことを記してみたい.もとより私の経験は勤務先の神戸大学国際文化学部とその周辺にしか及ばない狭い範囲のものではあるが,国立大学内部の状況をリポートすることにはそれなりの意味があるのではないかと思う.
 どの程度実質的な活動をしているかは別として,どこの国立大学にも“人権問題委員会”といったたぐいの全学レベルの委員会がある.先日,神戸大学の人権問題委員会に代理出席する機会を得たので,その席で,“民族学校出身者の受験資格の問題をめぐる神戸大学としての見解を明らかにする社会的責任をこの委員会は負っているのではないか”と発言してみた.しかしながら,他の委員からの反応は,“この委員会の仕事は,学内向けの啓発と個別の人権侵害事件への対応であって,この委員会には大学を代表して見解を対外的に表明すべき責任も権限もない”というようなきわめて消極的なもので,“まあ文部科学省の対応を待ちましょう”というところに話は落ち着いてしまった.おそらくどこの国立大学でも学内での議論の水準は(後述する京都大学の場合を別とするなら)似たようなものであろうと思う.端的に言えば,国立大学は,文部科学省の意向に反して民族学校出身者の受験資格の問題を取り上げようというような姿勢をもっていないし,そもそもこの問題を人権問題と捉えるような人権感覚を持っていない.
 そのことを述べたうえで,ここでは,次の3点を指摘しておきたい.1つめは,京都大学の同和・人権問題委員会がまとめた「民族学校出身者の京都大学への受験資格に関する最終報告」(『京大広報』第574号別冊所載)の先駆的意義である.「もとより今日の国際化時代においては欧米系のインターナショナルスクールを民族学校と切り離して処遇するというあからさまな差別政策はとりようもな」いとしたうえで,「可及的速やかに外国人学校出身者の本学受験を可能にするための体制の整備を進めるべきである」と結論づけるこの報告書は,他の国立大学でこの問題をめぐる議論がなされる際に指標として参照されるべき先駆的意義をもっている.2つめは,弁護士有志が受験生の代理人となって各国立大学に「入学資格認定書交付申請」を行おうという動きが出てきているという点である.このような動きが広がっていけば,各国立大学が文部科学省に責任転嫁できないところに引きずり出されて,上述のような消極的対応ではすまない状況が生まれてくるものと思われる.そしてもう1つ.今年3月に,“民族差別の加担者になることを拒否する”という趣旨の国立大学教職員の声明への賛同者を私の所属する国際文化学部で募ったところ,わずかな期間に教授会構成員の半数を超える同僚が賛同してくれた.“国際”を掲げる学部なので当然といえば当然なのだが,国立大学がいかに硬直した官僚組織であるにせよ,外部の動向に内部から呼応する動きが絶無ではないということを最後に記しておきたいと思う.

第250回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会5月11日(日)
サハリン朝鮮人棄民問題について―問われる日本の戦後処理
稲継 靖之(滋賀県立大学研究生)

 1905年に締結されたポーツマス条約によってサハリンの南半分(北緯50度以南)が日本の領有とされ、経済開発、入植政策が進められる中で、日本による朝鮮植民地支配下で困窮し、生計を立てるために南サハリンへ渡る朝鮮人も増加していった。やがて1930年代後半からの日本の戦線拡大によって労働力が不足してくると、日本政府は朝鮮人を労務動員する政策を進めていき、南サハリンへも多くの朝鮮人が動員された。これらの人々の大部分は南部出身者であった。
 日本の敗戦によって南サハリンがソ連の占領下に入ると、移住していた人々の引揚げは切迫した問題となる。引揚げはアメリカ(GHQ)とソ連の協議によって行われることとなり、その結果締結された「ソ連地区引揚げ米ソ協定(略称)」において、引揚げ対象は「一般日本人」、「日本人捕虜」とされる。当時朝鮮人は「講和条約の締結までは日本国籍を保有する」とされていたことを考えると、「一般日本人」との規定が朝鮮人は含まないことにつながるかどうかは疑問であるが、結局朝鮮人は引揚げの対象とはならなかった。
 1956年10月に日本とソ連の国交が回復すると、日本人女性と婚姻関係にある朝鮮人男性とその子供の引揚げが認められた。これにより日本に引揚げた朴魯学氏らは帰還運動を開始し、1960年代後半以降世論の関心も高まっていったが、共和国(北朝鮮)側の強硬な反対、冷戦下での日ソ関係の悪化などもあって帰還実現は困難の度を極めた。帰還が実現するようになるのはゴルバチョフ政権によるペレストロイカが進行し、日ソ、韓ソ関係が改善される1980年代後半以降のことであった。
 帰還実現が遅れたことには、冷戦下での当事国間の利害対立も大きな要因として挙げられるが、根本的要因は戦後処理に対する日本政府の消極性にある。戦後の引揚げにおいては、日本人の引揚げについてはGHQに熱心に要望する一方で、朝鮮人の帰還については考慮がなかった。1952年に主権を回復した後の引揚げ事業においては、「日本国籍の喪失」を理由に何の策も講じようとしなかった。1960年代後半以後帰還運動が高まってくると、ソ連側との協議を行ったりもしたが、具体的施策については「日本は通過のみで、全員韓国に引揚げさせる」という消極的な姿勢に終始した。この「原則」は1980年代末まで続いた。
 1990年代に入ると、韓国とソ連の国交が樹立されたこともあり、問題の重点は帰還実現から永住帰国へ移っていった。永住帰国事業については、日本政府も帰国者用アパートの建設資金を拠出するなど、ある程度の取り組みは見せている。しかし、現在も、受け入れ施設の不足、それに起因する新たな家族離散、社会保障の不備などといった問題が残されている。戦後50年以上経ち、ただ「当事者を原状回復させればよい」という問題ではなくなってきている以上、日本をはじめとする当事国間の密接な協力による、十分な配慮が行き届いた永住帰国事業・生活支援事業の確立が望まれる。

第218回 朝鮮近現代史研究会6月8日(日)
多国間主義と一国主義の間−朝鮮問題の国連移管を事例に−
金 光旭(名城大学研究員)

 今日におけるアメリカを中心とする国際問題を解く一つのキーワードが、一国主義として理解されるユニラテラリズムである。第二次大戦後、米国の政治的な役割はますます拡大し、世界各国を相手にした外交においても米国の影響力が大きくなった。冷戦期に入って、米国はウィルソンの理想主義の実現を目指して、資本主義陣営の拡大に全力を尽してきた。その時期には、ユニラテラリズムは国際協調に覆われたかたちで、その姿も隠されていた。

 報告者は、第二次大戦後、戦勝国としての米国が、朝鮮問題の国連移管に関連して国連加盟国からの同意を求めながらも、自らのロードマップを実行するために、どのような外交を展開したかについて分析することによって、最近、アメリカ外交パターンの一つの特徴として浮かび上がってきた、ユニラテラリズムの萌芽を外交史的な脈絡で提示した。具体的には、第一、米国務省が主導した朝鮮問題の国連移管の過程、第二、米国の臨時委員団所属国へのスタンス、また同委員団の活動への関与、第三、米国主導の働きに連携した朝鮮国内勢力の活動を究明した。すなわち、交渉形式は国際協調を重んじる国連中心主義であっても、それは限りなく米国の一国主義に近い内容だと強調した。

 米国側の具体的な介入は、国連臨時朝鮮委員団事務局の人選から所属委員の日程と行動などを把握・検討し、その準備をしてきたことである。一方、米国側は、選挙を通してのリーダーシップの確立を目指した李承晩との間に差をつけながら、自らの目標へ進めた。米国務省は、将来、選挙によって樹立される韓国政府に対し、国際社会からの合法性と正当性を求めようとした。

 米国の一国主導に疑問を抱いて、異議を提起したのが、同委員団のなかの英連邦のミドルパワーの国々である。独立したばかりのインド代表は、自国の対英・対米関係を考慮して、米提案への支持に廻った。しかし、カナダと豪州の代表たちは、南朝鮮だけで政府を樹立しようとした米政府の提案を牽制するのに、一定の役割を果たした。しかし、米国は、英米の特別な関係および国連における影響力を行使し、国連を舞台に南朝鮮だけの政府を樹立する手続に多数国を同意させることによって、カナダと豪州とを少数の反対国の地位に留めることができたのである。

 朝鮮問題の処理において米国主導が可能であったのは、李承晩に代表される協力勢力が存在したからである。解放以降、朝鮮には米国のユニラテラリズムと朝鮮民族のナショナリズムとの間の衝突と宥和が繰り返してきたが、それは東アジアの安全保障を重視する米国の外交政策に対して、統一政府を指向した朝鮮民族の抵抗として、現れた。分断国家の成立が朝鮮問題の国連移管とその後の国連決議に基づいている以上、今後、統一を希求している朝鮮の人々には、自ら対案を練っておく知恵が必要である。特に、多国間協議と国連が、米国一国の意思を貫くための手段にならないように注意を払う必要がある。すでに南北ともに国連に加入した以上、国際社会に対する一定の責務を果たすことによって、国際社会から信頼される態勢を作らなければならない。

【今後の研究会の予定】
9月14日(日)、在日(金隆明)、近現代史(金森襄作、「韓国民話の収集と絵本出版」)
10月12日(日)、在日(梁相鎮)、近現代史(金永基)
11月9日(日)、在日(塚崎昌之)、近現代史(堀内稔)
12月14日(日)、両研究会とも報告者未定、希望者は、飛田または水野まで。

【月報の巻頭エッセーの予定】
9月号(金河元)、宇野田尚哉、坂本悠一、張允植、塚崎昌之、広岡浄進、福井譲、藤井たけし、藤永壮、堀内稔、堀添伸一郎、本間千景、松田利彦、水野直樹、文貞愛、森川展昭、山田寛人、梁相鎮、横山篤夫、李景a。よろしくお願いします。

<編集後記>

・  梅雨明けが待ちのぞまれる今日この頃です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。7月号の月報をお送りします。7月の研究会は、上記のとおり滋賀県立大学で大会です。河かおる先生はじめ県立大学のみなさまにお世話になりますがよろしくお願いします。

・  六甲のホタル話をいたします。昨年、学生センター近くの河原でホタルを見ました。大感動で毎晩のようにでかけました。多いときは40〜50匹。インドネシヤのホタルは、クリスマスツリーのように一つの木に集まったホタルがネオンサインのように同調しながら光るという有名な話があります。六甲でも20匹ほどのホタルが同調しながら光るのにはびっくりしました。今年もその河原には昨年より少なめでしたが、いました。そして友人からもう1ヵ所ホタルのいる場所があると聞いてでかけました。ここも神戸大学の近くの学生センターからは歩いていけるところですが、ちゃんといました。また来年ももっと多くのホタルをみたいものです。(飛田雄一 rokko@po.hyogo-iic.ne.jp)

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