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青丘文庫月報・178号・2003月4月1日

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●青丘文庫研究会のご案内●

●第249回在日朝鮮人運動史研究会関西部会
 4月6日(日)午後3時〜5時
「柳美里論」   朴正伊氏

●第217回朝鮮近現代史研究会
 4月6日(日)午後1時〜3時
「公州憲兵隊・忠清南道警察部編『酒幕談叢』に見る植民地期初期の朝鮮社会」 松田利彦氏

会場はいずれも青丘文庫(神戸市市立図書館内)

第247回 在日朝鮮人史研究関西部会2月9日(日)
1910年代の「渡航管理政策」に関する一考察      福井 譲

 「渡航管理政策」を考察する場合,主に朝鮮総督府による通牒類によってその推移を把握することが可能である。10年代の場合では,近年に到り通牒類の存在が確認されるのみで,その具体的内容にまではまだ検討が加えられていなかった。そこで今回は,先に『在日朝鮮人史研究』(31・32号)に掲載された拙論を基に,「書類」がどのような過程を経て処理されていたのかに焦点を当て,若干の考察を加えることとした。当該期の「書類」の処理過程は,朝鮮総督府令第6号「労働者募集取締規則」(1918年1月29日,以下「取締規則」)と警務総監部令内訓甲第4号「労働者募集取締規則取扱手続」(同年3月12日,以下「取扱手続」)によって大まかに知ることが可能である。
 まず必要書類としては,朝鮮人労働者を雇用しようとする企業側(以下「募集者」)によって,「願書」「応募者名簿」が準備され,実際に労働者側との契約内容を掲載した「雇入契約書案」とともに警察へ提出されなければならなかった。警察側に作成が定められていた書類としては「許可証」(「取扱手続」第9条,「取扱手続」第3条),「労働者募集許可台帳」(「取扱手続」第15条,以下「許可台帳」),「労働者募集許可及渡航帰還者報告表」(「取扱手続」第16条,以下「報告表」)が存在する。これらは「取締規則」では規定が見られるのみだが,「取扱手続」では具体的に「書式」が掲載されており,その具体的記載内容までも知ることができる。
 「募集者」は労働者側との契約が成立したのち,「願書」「雇入契約書案」を「住所地警察署長」(「募集者」「出願人」「出願代理人」の朝鮮内(仮)住所の所在地を管轄する警察署長)宛に提出しなければならなかった。それらの提出を受けた警察署長は,1道内での募集の場合は道警務部長,2道以上の募集では警務総長に書類を「進達」し,同時に「募集者」が所轄内に所在する場合は「願書」の内容を調査,「募集従事者」が所在する場合はその身元調査をした後,警務総長/道警務部長に合わせて「追報」することが定められていた。
 こうした「進達」を受けた警務総長/道警務部長は,先の「書式」にある「許可台帳」と「報告表」を作成することとなっていた。「許可台帳」の記載内容はほぼ「願書」記載事項,すなわち「取締規則」にて規定されている事項と対応しているが,その項目から申請ごとに作成されていたことが推測され,また「備考」欄に「許可取消其ノ他命令事項等取締上参考トスヘキ事項ヲ略記スヘシ」とあることから,許否如何に関わらず一定期間保管されていたと思われる。
 さて募集が許可された場合,警務総長/道警務部長側から「募集者」に対し,「許可証」「募集許可証」が発行されていた。これらのうち前者は「取締規則」第3条・「取扱手続」第9条に規定が見られるが,後者については「取扱手続」第6条に「募集許可証写」と記述のあるのみで,「書式」などその内容を知ることはできない。後者のみ書式か存在しないなど,両者が果たして異なるのか疑問が残るが,前者は規定上「募集従事者」の使用に対する許可証であることから,この点については今後さらに検討が必要である。
 「許可証」を受領した「募集者」は「応募者名簿」を作成したのち,「関係警察署長」宛に提出することとなる。そして最後に,朝鮮での最終出発地となる「乗船地警察署長」宛に「応募者名簿」と「募集許可証写」を提出しなければならなかった。これらを受領した「乗船地警察署」では,それらの内容を調査し,警務総長/道警務部長へ進達することとされていた。
 資料的制約から未だ不明確な点も多く残されているが,さらに20年代以降の政策の推移とも合わせて今後の課題としたい。

第215回 朝鮮近現代史研究会2月9日(日)
茗荷谷文書に見る朝鮮植民地末期の教育政策 佐 野 通 夫

1.はじめに
 2001年10月、外務省外交史料館において「茗荷谷研修所旧蔵記録」と題される文書群が公開された。同記録は「財政、経済、産業、貿易」を内容とするE門が中心となっているが、教育関係のI門には植民地末期の朝鮮・台湾における植民地教育政策資料が含まれている。この教育関係資料は、従来資料が最も手薄だった時期の資料であり、きわめて貴重なものである。
 本報告は、これらの資料の紹介も兼ねつつ、朝鮮植民地末期の教育政策を明らかにすることを目的とした。その主な政策は、義務教育制度実施の宣言であり、戦時体制に応じるための中等、専門教育における理科系の拡充であり、それらを通じて植民地教育の本質が明らかにされる時期であるが、一方ではもっとも資料を得ることの難しい時期でもあり、これまで十分な研究がなされているとは言い難い時期でもある。
2.義務教育制度実施について
 1942年12月6日、前日の朝鮮総督府教育審議委員会において1946年度からの義務教育制度の実施が決定されたことが報じられた。しかし、朝鮮総督府は一貫して義務教育制度の実施を否定してきた。近くではその3年前の1939年の段階でも、義務教育の実施を否定していた。
3.戦時下の中等教育政策
 その植民地統治初期において、朝鮮人の教育を普通学校4年、高等普通学校4年としたことにも見ることができるように、そして1919年の3.1独立運動後の1920年から教育年限を延長し、1922年の(第2次)朝鮮教育令にいたって、日本人と朝鮮人の学校制度を修業年限において同一のものとしたものの、朝鮮人教育の普及は初等教育を中心としたものであった。1934年以降に確かに中等、専門教育の規模は拡大しているものの、各学校における朝鮮人・日本人の在学比率は中等、専門教育で朝鮮人生徒数が日本人生徒数の各1.7倍、1.6倍程度でほとんど変わっておらず、朝鮮における中等、専門教育の拡充は日本人在学者を増加させるものでもあった。また、もともとの朝鮮人・日本人居住人口比率(日本人が増加する傾向にあるものの、この当時で33倍程度)から考えると、朝鮮人中等、専門教育在学者の割合は極端に低いということができる。
 この中等教育の内容については、この時期に至って、実業教育の振興が主張されている。
*詳細は『アジア教育史研究』第12号に掲載。

第216回 朝鮮近現代史研究会3月9日(日)
解放政局と左右合作運動  李 景 a
 1946年5月初旬、一ヶ月半続いていた米ソ共同委員会は、何ら成果を挙げることなく物別れに終わってしまった。米ソ共同委員会が作成するはずの勧告書は、独立の手順を具体的に明示するものと期待されていただけに、結局朝鮮の独立問題は暗礁に乗り上げてしまった。
 一方、朝鮮の政局は、依然として左右の政治勢力が、喫緊の信託統治をめぐって激しく張り合っていた。保守派による反共・反ソのスローガンの叫びがかまびすしい中で、警察当局が突如、偽札印刷の容疑で朝鮮共産党の中央本部の捜査に乗り出し、党幹部、党員ら十数人を逮捕する事件が起きた。これまで米軍政当局と朝鮮共産党は、互いに意見の相違があっても表面的にはなんとか平穏さを維持しようとして衝突は避けてきた。しかし、ここに至って“円満な”関係は完全に切れてしまい、政局は異様な緊張感に包まれた。こうした状況は、民族の行く末を案じる良識ある人々にとっては、極めて憂うべき事態であった。
 この混沌とした情勢を打開しようとして動いたのが、金奎植と呂運亨の二人であった。左右両勢力の連合体の性格をもつ「民主議院」と「民戦」の、それぞれ指導者の一人であった金奎植と呂運亨とがともに難局を乗り切る方策について議論し始めたのである。
 二人は、かつてともに中国の上海で独立運動に加わった間柄であり、左右両陣営に広い知己を持っているばかりでなく、大局的に民族の運命について語り得る人物であるとの期待と人望があった。二人がよって立つ政治的立場の違いから、この動きは俗に左右合作運動と言われた。
 ところが、朝鮮民衆の民族的衷情の発露であった合作運動を、米軍政当局が側面から支援した。これは思いもよらぬことであり、大いに注目に値する。米軍政当局が二人に近づいたのは、彼らが西洋文化を十分理解する人物であり、かつ民衆の広範な支持を得ていたこと、それにソ連側にも受け入れられる指導者だとみなしたからである。そして、米軍政当局の思惑がどうであれ、金奎植と呂運亨にとって左右合作運動を実りあるものにするためには、米軍側の支持と理解を得ることは極めて重要であった。

金英達著作集(全3巻)が完結しました!(46判/上製)

法制度と歴史 2800円
「植民地下の朝鮮人に日本式の名前を強制した」という通説に対して、当時の法令にさかのぼり、行政施策、新聞報道を一つ一つ確かめながら再検討を重ねた著者の代表的研究成果の集大成。

A朝鮮人強制連行の研究 5400円
「強制連行」の名称の元に情緒的、感情的に論じられてきた「朝鮮人強制連行史研究」に徹底的な史料批判と法制度との整合性から新たなメスを入れた画期的研究。

B在日朝鮮人の歴史 2500円
在日朝鮮人の歴史を、これまでの通説、思いこみを一切排除しつつ、資料や統計にさかのぼり、丹念に検証・構築し直した著者の歩みを再構成した論集。

特価9500円(全3冊、送料込み)で販売します。下記にご送金ください。

    郵便振替<00970−0−68837 青丘文庫月報>

【今後の研究会の予定】

5月11日、在日・三輪嘉男、近現代史・報告者未定
6月8日、在日・未定、近現代史・金光旭
7月12〜13日、滋賀県立大学で在日研究会関東関西合同合宿。関西部会からの報告は、塚崎。詳細後日。

【月報の巻頭エッセーの予定】5月号(梁永厚)、6号以降は、金河元、宇野田尚哉、坂本悠一、張允植、塚崎昌之、広岡浄進、福井譲、藤井たけし、藤永壮、堀内稔、堀添伸一郎、本間千景、松田利彦、水野直樹、文貞愛、森川展昭、山田寛人、梁相鎮、横山篤夫、李景a。よろしくお願いします。

<編集後記>
*  六甲近辺の桜は満開になってきましたが、みなさまの所ではいかがでしょうか。2003年度最初の月報を送ります。
*  さっそくのお詫びで恐縮ですが、梁永厚先生より巻頭エッセーの原稿をいただいていますが、編集の都合により5月号にまわさせていただきます。
*  2003年度の月報購読料3000円の送金もまだの方は、郵便振替でよろしくお願いします。
*  以前、滋賀県立大学の河かおるさんに本月報でもご報告いただきましたが、朴慶植先生の資料が同大学に移管されています。まだすべて整理された訳ではありませんが、7月12〜13日に見学を兼ねて合宿をします。在日朝鮮人運動史研究会の関東部会と関東部会および韓日民族問題研究会(ソウル)の合同で開催します。月報の次号でご案内をいたします。同大学には姜在彦先生の図書も移管されています。あわせて見学したいと思っています。
*  金英達さんの著作集全3巻(3頁参照)の完結をうけて、4月17日、神戸学生青年センターで兵庫朝鮮関係研究会およびむくげの会の主催で、遺族をご招待して会を開きます。ご参加できそうな方は、神戸学生青年センター飛田までご連絡ください。
*  私は、今年初めて花粉症になったようです。先日、六甲山に登ったとき、大変でした。「目玉を出して水洗いしたい」という花粉症の人の話を聞いたことがありますが、よく分かりました。私は、52歳の発症です。みなさま、関係ないと思っている人も気をつけましょう。でも気を付けようがないですが‥‥。(飛田 雄一 rokko@po.hyogo-iic.ne.jp)

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