青丘文庫月報・154号・2000月11月1日

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第192回 朝鮮民族運動史研究会
11月12日(日)午後3〜5時
テーマ: 「「1910年代の朝鮮人風俗営業―日本公娼制度の定着過程―」
報告者:藤永壮

第227回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会
1月12日(日)午後1〜3時
テーマ:「戦後在日朝鮮人の民族運動−アイデンチティと国籍の位置」
報告者:片田孫朝日

会場:青丘文庫(神戸市立中央図書館内)

巻頭エッセイ

芦屋での金英達の思い出 坂本 悠一

 世紀末だからというわけでもなかろうが、今年はあの世に行ってしまう人がやたらに多い。1月の鄭鴻永さんをはじめとして、4月には不肖の妻、ちょうど1週間後に金英達(以下敬称略)と続き、これまでに6人を数える。私もいいかげん年齢だから避け難いことではあるが、このうち2人が他殺というのはちょっと異常である。英達とは、とりたてて長いわけでもなく、それほど親密といえるほどのつきあいでもなかったと思うが、この青丘文庫に私を誘ってくれたのは彼だった。資料の提供など研究面でお世話になったことは多々あるが、今回はちょっとした‘秘話’を紹介することで、彼の追悼としたい。
 英達に初めて会ったのは、ちょうど10年前の1990年、名古屋で開かれた第1回「強制連行交流集会」のときだったと思う。当時私はまだ北海道に勤務しており、個人的に話をするようになったのは、93年に北九州の現在の職場に移ってから後のことである。日時は特定できないが94年の秋頃、梅田の「新阪急ホテル」の喫茶室で会って、青丘文庫の資料を利用し、研究会にも出席するように勧められた。この日は、お互いに人見知りしていたのか、後のスケジュールが詰まっていたのか、なぜか一献傾けることなく別れてしまった。その後酒席をともにすることはもちろん多く、3人で待ち合わせということもあったのに、残念なことに二人きりで飲んだという記憶がない。それはともかく、この日の‘会見’によって私の青丘文庫行きが決定し、その最初の機会は95年1月22日に予定されていた研究会になるはずであった。
 忘れもしない1月17日、研究室にテレビもラジオもなく、午後からずっと授業をしていた僕は、その夜の授業の席で学生から「大震災」の発生を聞いたのである。深夜アパートに帰るとまもなく、芦屋の叔父・従弟宅の全壊と叔父の圧死を知らせる電話が他所から入った。芦屋には、他に弟宅、従弟宅などもあるが、いずれも安否は確認できない。翌日は3コマの授業を全部休講にして、福岡発伊丹行の飛行機でとりあえず高槻の自宅へ帰る。明る19日、JRが甲子園口まで開通したので、前夜東京から帰ってきた弟と長男を同道して、水・食糧・燃料などを詰め込んだリュックをかついで早朝から芦屋に向かう。芦屋には他に妻の従姉宅もあり、英達宅を含めあわせて5軒が直径約1キロの範囲に集中している。1時間近く瓦礫の中を歩いて、まず浜町の叔父宅の惨状をまのあたりにする。ここで3人は手分けして、他家に物資を届けることにし、私は緑町の妻の従姉宅と隣町である潮見町の英達宅を訪ねることにする。本人はあいにく大阪まで買い物に出かけて不在だったが、上がり込んで奥さんと話をする。彼の仕事のことに話が及んだとき、奥さん曰く、「あの人の適職はやはり大学教員しかないでしょう、どこかに口がありましたらどうかよろしくお願いします」。この賢夫人が、むくげの会編集『朝鮮1930年代研究』にも論文を書いたことのある八巻貞枝さんであり、彼の自称「会社員」は実は彼女の経営する会社のそれだということが判ったのは、この後しばらくたってからのことである。
 芦屋の英達宅を再度訪れたのは、この年の後半なのか翌96年のことなのか、手帳の記録が探し出せないのではっきりしない。彼から、「資料を処分したいので、何か使えるものがあったら貰って欲しいのだが」との連絡を受けて赴いた。この時は奥さんは不在だったが、2〜3時間本棚を捜索して、彼が不要という資料を1箱分譲り受け、近くのコンビニまで一緒に行って宅配便で送った。この時もなぜか杯を傾けなかったことが悔やまれる。彼から宝塚に転居したという通知をもらったのは、それからまもなくのことであった。事情に疎い私は、大丈夫そうだった芦屋の家もやはり震災で故障が出たのかな?などと思っていた。しかし、電話口に出る女性の声は、どうも以前の奥さんとは違うようである。そして、件の女性に初めて会ったのは、97年夏の高槻での「強制連行交流集会」の席だった。この時になって初めて、あの時の資料の整理は、彼が芦屋の家から出ていく準備だったことが理解できた。次に彼に会った機会に、僕は震災の日のあの夫人の言葉を彼に伝えたのである。その後尼崎への転居は彼から何の通知もなく、一時電話が通じなくなって飛田さんに番号を尋ねたこともあった。こうして今回の不幸な事件の伏線を垣間見た感のある僕は、送られてきた新聞記事のコピーをみて「あり得る」ことだと納得し、ある運動団体から送られてきたニューズレターを見て、思わず「ウソー!」とつぶやいてしまったのだった。
 ヨンダル!、君はついに適職には就くことなく逝ってしまったね。でも、君は平均的な大学教員の水準をはるかに超える仕事を、しかも自由奔放に成し遂げることができたと思う。そして、「金と力」には無縁だという、下世話な諺にあるような生き方は、男の本音としては相当にうらやましいものがあるよ。期せずして君のプライバシーに踏み込む追想になってしまったが、許してちょうだい。どうか安らかに眠りたまえ。合掌。

第190回 朝鮮民族運動史研究会
2000年9月17日(日)
在韓華僑の現況について研究−修士論文の中間報告− 田慶江

 21世紀はアジア・太平洋の時代といわれるように、1980年代に入ってから日本、NIEs、ASEAN諸国、そして中国は新しい時代の主役である、と言われるようになっている。
 実際にこれらの国々で、縁の下の力持ち的役割をになっているのは各地に約2700万人(注1)といわれている華僑・華人であり、彼らは地縁・血縁ネットワークを駆使して、アジア・太平洋地域の国々の発展を引っ張ってきたということも今ではよく知られている。しかし一方で、韓国の華僑・華人についてはこれまでほとんど研究されてこなかった。
 中国大陸のすぐ隣に位置し、中国文化の影響を強く受けてきた朝鮮半島での華僑・華人については、これまでその現状が話題になることはほとんどなかった。しかし朝鮮半島にも華僑・華人がいなかったわけではないし、その歴史の始まりは1882年だと言われ、100年以上の歴史を持つ華僑たちは現在でも約2万人が韓国国内で生活している。
 また、世界の多くの都市にチャイナタウンは存在するというのに、韓国にはチャイナタウンが存在していない。それどころが、韓国にも華僑がいるのかと不思議に思う人までいる。しかし、こういった話題が最近韓国国内でも新聞などで取り上げられるようになってきた。韓国では海外華僑の資本をあてにしてはいるが、現在国内の5都市(ソウル、仁川、大邱、釜山、済州島)で新しいチャイナタウンの創造の動きも出てきている。しかし、このチャイナタウンは、各都市の観光都市化計画の一端として進められているものがほとんどであることから、一般の華僑の方々にはチャイナタウンを作ることより、まず自分達の基本的生活権の確保や、地位向上のほうが重要だと考える人も多い。そこで、まずは韓国社会の中での華僑の現況を正しく理解することから始めていき、今後、韓国人・華僑の両者にとってより住みやすい韓国社会を作っていくために何が必要なのかを考えてみたいと思う。
 先行研究については、これまで日本における韓国華僑研究は、朝鮮半島の植民地時代に、朝鮮総督府が朝鮮の社会研究の一環としてまとめたものが二,三ある以外はほとんどない状態だが、台湾、中国では歴史的なアプローチで、『華僑志―韓国』(華僑史編纂委員会 1958年)、『韓国華僑史話』(秦祐光著 1983年)、『朝鮮華僑史』(楊昭全・孫玉梅共著 1991年)が出版されている。 
 また韓国では、国内の華僑に関する著作はほとんど見当たらない状況だが、唯一、華僑社会全般について朴銀瓊氏による『韓国華僑の種族性』(韓国研究院、1986)が、今までの韓国華僑に関する文献の中では他になく体系的に書かれたものであると言える。中でも韓国華僑が第三国(台湾、アメリカ)へ移動した事例などに関してインタビュー調査を行っている点は特に興味深い。しかしこの本は1985年までの考察であるため、最近(90年代)の変化について書かれていないことから、現在の華僑の実態との相違点が分析されていないことに限界があると思われる。筆者は本論文で、1990年代に入ってから、現在まで見られる変化に特に注目したいと考えており、近年見られる変化についてまとまったものがほとんど無いことから、現在の華僑の現況、実態を明らかにする点に力を入れたい。
 *注1:『華僑・華人』p.23より。中国籍を持つ華僑約200万人、居留国籍を取得した華人約2400万人、帰僑約90万人の合計で。

『在日朝鮮人史研究』30号がでました!
(2000年10月、A5、175頁、2400円)
※ 月報購読者特価、送料とも2000円を
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「第三国人」の起源と流布についての考察 水野 直樹
新聞記事に見る在阪朝鮮人の初期形成 堀内 稔
一九三〇年代における京都在住朝鮮人の生活状況と京都朝鮮幼稚園
  −京都向上館前史 浅田 朋子
戦後日本における朝鮮人対策の転換と朝鮮人保護救済の形骸化
  −協和事業における朝鮮人保護救済問題を中心に− 許 光 茂
朝鮮人学徒兵経験者呉昌禄さんに聞く 北原 道子
姜h東氏の俳句について 落合 博男
映画『海を渡る友情』と北朝鮮帰国事業(下) 高柳 俊男
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私の在日朝鮮人史研究への関心−その「何故か」と「何を」 ジェフリー・ベイリス
在日朝鮮人史研究と私 ケン・カワシマ
青丘文庫にて、金英達さんを偲びながら 伊地知紀子
会の記録(1999.9〜2000.7)

第225回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会
2000年9月17日(日)
「部落に暮らす在日朝鮮人−大阪市内地区の戦前・戦後」藤井幸之助 (略)

【今後の研究会の予定】
12月10日(日) 本間千景(民族)、伊地知紀子(在日) & 忘年会

月報の巻頭エッセー
12月号(李景a)、2001年1月号(出水薫)
※ 前月の20日までに原稿を飛田までお寄せ下さい。

編集後記

(飛田雄一 rokko@po.hyogo-iic.ne.jp)

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