むくげ通信203号/2004年3月

●史片(109)

 神戸で元山ゼネスト支援のスト?  堀内 稔

 

 植民地下朝鮮での最大の労働争議といわれる元山ゼネスト(1929年1〜4月初め)の記述において、神戸と小樽で支援ストが行われたことがしばしば登場する。たとえば朴慶植は『在日朝鮮人運動史』の中で「神戸、小樽の労働者は同情ストを断行した」と記述し、金森襄作は「元山ゼネストと朝鮮の労働運動(3)」(『朝鮮研究』178号所収)で「神戸の「ラ」社日本総支社の労働者が、同情支援ストを起こした事実などは特筆すべきことがら」と書いている。また、小林英夫の「元山ゼネスト」(『労働運動史研究』44号所収)では「小樽および神戸ライジングサン石油会社の労働者が支援ストにたちあがったことは、両国の労働者の国際連帯にとって重要なことだった」と述べられている。

 しかし、これらの記述の根拠となっている資料はというとはなはだ心許ない。朴慶植は在日本朝鮮労働総同盟の「元山争議応援ニュース」第一号のなかの「既に小樽運輸労働者、神戸ライジングサン労働者は同情罷業に入った」という部分を根拠にしていると推定されるし、金森は『朝鮮日報』1929年5月25日付の「元山大争議一段後記」(この日付の『朝鮮日報』の中に同記事は見つからず)に言及されているもので、しかもその「具体的内容は全く不明」だとしている。小林論文では記述の根拠が明らかにされていない。

 「元山争議応援ニュース」も「元山大争議一段後記」も、二次的なニュース報道である。一次的な報道として、『中外日報』1929年3月12日付の「神戸と小樽で同情罷業を断行/運輸労働者とライジングサン人夫/各地同階級の声援」、および『朝鮮日報』1929年3月13日付の「元山争議に同情/神戸でも罷業/英石油東洋本営に一動揺/注目される今後の経過」という見出しの記事を見つけることができた。しかし、このうちの『朝鮮日報』の記事はほとんど内容がなく(本文より見出しのほうがすごい)、しかも「罷業を開始したという報道が入ってきた」とあることから、伝聞的な報道であることがわかる。これに対し『中外日報』の記事は、「数日前から北海道の小樽の運輸労働者数十名が同情罷業を断行し、神戸のライジングサン石油会社の労働者数百余名も同情罷業を断行した」となっており、ストに参加した労働者の漠然とした数が入っている分いくらか具体的であるが、あとは元山ゼネストの状況説明がはいっているだけで、これ以上の内容はない。ストが行われた正確な日付すら分からない。

 問題は、これらの記事が何に基づいて書かれたのかである。記事の乏しい内容からして、記者が神戸や小樽の現場に行って取材したのでは決してないと推定できるからである。

 少なくとも神戸については、日本の地方紙や全国紙の地方版を見る限り、元山ゼネストの同情ストが行われた形跡は見つからなかった。同情ストどころか、元山ゼネストについての報道もほとんど見あたらなかった。要するに同情ストが行われるような雰囲気ではなかったことは、ここからもうかがえる。

 元山ゼネストについて最も詳しく報じたのは『無産者新聞』であろう。同紙は元山ゼネスト勃発時から日本の労働者に支援を訴えた。元山ゼネスト関連の記事の中には、日本労働組合全国協議会が元山行貨物の積込、荷役を拒否することや応援の全国的罷業、示威闘争を行うために地域的に労働組合会議を開くことを提唱したという(1929年3月13日付)記事や、「最も重大かつ緊急な諸君の国際的階級義務は、神戸のライジングサン石油会社にストライキを起こす事だ!」(1929年3月13日付)という元山争議団のアピール文なども見る事ができる。しかし、こうした記事を眼にすることができた左翼的、戦闘的労働者が、神戸のライジングサン石油会社にいたのかどうかはかなり疑問だ。

 日本の一般紙に報道されなかったからといって、同情ストそのものもなかったとは決していえない。しかし、同情ストが行われた事実については、限りなく黒に近いグレーだと思わざるをえない。

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